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サンタクロースと『神の道化師』

「4日連続でクリスマス関連記事を公開する」と昨日言ったな、あれは嘘だ。数え直したら5記事あった。5日連続で公開する。というわけで本日の更新は6年前のクリスマスイブに生やした木の再録。

【2018年12月24日のツリー】

クリスマスイブにはトミー・デ・パオラの『神の道化師』を読んで寝る。それが当番のクリスマスです。クリスマスは贈り物をもらう日ではなくて「あげる日」です。自分にできることを通して誰かを喜ばせようとする人の日です。サンタクロースもそうやって誰かの喜びのために奔走する人のことを意味します。

『神の道化師』は老いた貧しい旅芸人がクリスマスイブに教会へ迷い込み、悲しげな顔をしている幼子イエスの彫像の前で芸を披露するという物語。最後に旅芸人は死んでしまうという『マッチ売りの少女』みたいな終わりかたをするけれど、この話の主眼は「凍死した旅芸人かわいそう」というところにはない。

老いた貧しい旅芸人が自分がささげられる唯一のおくりものとして芸を披露する。芸の最高潮で老いた彼の心臓は止まってしまう。駆けつけた修道士たちは旅芸人のなきがらと散らばったお手玉、そして幼子イエスが確かにその芸を喜んだというしるしを目にする。木彫りの幼子がにっこりと笑っている――

ハッピーホリデイズ!「贈り物を受け取る相手の喜ぶ顔」のために奔走している全国のサンタの手先たちよ、おつとめお疲れさまです!贈り物、喜んでくれるといいね。しあわせが増えるといいね。今年「ひみつ組織・サンタの手先」を知ったチルドレンよ、そのうちひみつ組織から勧誘パンフレットを贈るぞ。

大切なことは「プレゼントをサンタがくれるか他の誰かがくれるか」ではないんだ。「プレゼント」は「喜びのためにあげるもの」であって、あなたのしあわせを願うひと/またはサンタ/またはそれ以外の存在がくれるものなんだ。クリスマスは「誰かが別の誰かのしあわせを願い、喜ばせようとする日」だ。

サンタクロースが贈り物をくれると強く信じているこどもを私が積極的に否定しないのは「否定してその子が喜ぶか?しあわせな気持ちになるか?」と考えたとき、逆の結果しか出なさそうだからだ。サンタクロースがくれる方がその子にとって嬉しくてしあわせなら、サンタクロースからである方がいい。

サンタが贈り物を持ってこなくなる日は、サンタというラッピングをこどもが喜ばなくなったときだよ。まあサンタクロース柄の包装がダサく思えたり非合理に見えたりする日はいずれ来て、人間同士の贈り合いに移行していくんだけどね。いいんだよ、贈る側としては品物を喜んでくれればそれで充分だよ。

当番は「クリスマスがパーティーしたりデートしたりその後どこかにしけ込んでいたりする日でも『自分が関わる誰かを喜ばせようとする気持ち』がそこにあるならそれでいいじゃない派」です。勿論仕事していてもそれはそれで。今日の行いと、今日のため準備した諸々が相手に喜んでもらえるといいね。

『神の道化師』は当番が7歳のときに買ってもらった絵本です。当番のオールタイム・ベストクリスマス絵本。

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星見当番
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