「愛想」と「愛」は違います。あるいは「風」と「水」の違いの話
2022年11月16日のツイートまとめ。
「『表現(火)』と『コミュニケーション(風)』は違う」
……という話を繰り返しやってきたが
「『コミュニケーション(風)』と『情愛(水)』も違う」
という話も時間ができたらしようかな。
「自分に合わせてわかりやすくちょうどよくコミュニケートしてくれる人」が「自分を好き」とは限らない。
「お仕事でやってるだけかもよ(『林檎もぎれビーム』)」がわからなくなって、サービス業の人へ一方的にガチ恋してトラブルを起こす粘着質な人は「サービスという業務の円滑な進行のため、お客に合わせて調整したコミュニケーション(風)」を「自分個人への好意(水)」と誤認する。
まあ「色恋営業」のように「風のコミュニケーション」と「水の情愛」を意図的に混ぜた接客業もあるわけですが。
今、前ツイートを打ち込んでいるときどこかを無意識に触っちゃって英文翻訳が勝手に出てきたんですが(スクショ↓)
けっこうまともな翻訳出してくるじゃん(ただし、四大元素の「風」は wind ではなく air である)。
「この人は自分に愛想よく接してくれている」と「この人は自分を愛してくれている」は違いますという話。
「自分に愛想よく接してくれる人」に対して「自分」は「好きになる」「惚れてしまう」かもしれないが、その「自分に愛想よく接してくれる人」は「お仕事でやってるだけ」かもしれないし、「接する人に愛想よくする習慣があるだけ」かもしれない。
相手の「風(愛想)」に自分の「水(情愛)」がかき立てられたからと言って、相手の「水(情愛)」も波立っているとは限らない。
朝から『明日カノ』めいた話をしている。
「『火の表現』と『風のコミュニケーション』は同じ発信でも別種のもの」という話はこっちの記事
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