カニを捨てて歩き始める⑤ 地味に溜まる疲れがかなり厄介な、放射線治療の副作用
私の新しいカニはほんとうに小さかったので、部分切除だった。右乳房、乳輪の上から脇にかけて10㎝ほどと、脇の下の少し下あたりに5㎝ほどの傷がある。5㎝のほうはセンチネルリンパ節をとったものだ。
部分切除術の場合のお決まりとして、放射線治療を受けることに、初めから決まっていた。抗がん剤治療はなし。ホルモン薬が効くタイプなので、タモキシフェンはすでに服用中。もうすぐ2カ月になる。
乳がん部分切除術後、放射線治療のリアル
放射線治療は、抗がん剤治療に比べたら、自覚できる副作用は非常に小さいと言われているし、実際そうなのだと思う。
私のように、とっくに授乳期も生殖期も過ぎた者にとっては、一部の細胞が放射線によって殺されることは、生活への影響もほぼない。
照射した部分が、日焼けのような火傷のような症状になることは聞いた。それは、紫外線や熱を皮膚表面に浴びるのとは逆で、皮膚の真皮層のさらに奥へのダメージを与えているため、ダメージを受けた細胞が、皮膚の再生の仕組みに従ってだんだん表面に上がってくるゆえに、あとからじわじわと日焼けのような症状が出てくるのだ。
今の私の右胸は、そこだけ夕陽が当たったように赤い。照射位置を合わせる照準用に描かれた「地上絵」が、油性ペンで工業製品のようにして書かれている。傷は赤茶色く落ち着いている。
全摘出した人とはもちろん比べようはないけれども、それでも、「これは私の体なのか…」と思う、風呂に入るときに鏡に映った姿を見て。
毎日のルーティンになった放射線治療
検査着に着替えて、治療台に横たわり、腕を頭上に伸ばしてレバーを握る。薄くなったマークが書き足される。照射位置を合わせてもらう。技師さんが私のおなかあたりを両手で持ち上げて位置を微調整するとき、私の体はつきたての餅になったような感じがする。
だいたいいつも看護師さんが2~3人、技師さんが1人いる。治療準備ができると、みんないなくなり、広い治療室に私ひとりだけ、上半身裸で寝ている。けっこう寒い。機械が、ウィーン、ジー、ガシャン、ピー、と音を立てて忙しく動く。どれが何をしているのかはわからない。位置確認の赤い光線が私の体を照らしているようだ。
私は何もできない。動いてはいけない。呼吸で動く胸郭も、最小限の動きにする。
日によって、気分は違う。無になるとき、昼ごはんを何を食べるのかを考えるとき、顔にかかっている髪の毛がむずがゆくてたまらないのをひたすらがまんするとき。目を細めると赤い光がまつ毛でにじむのを観察するとき。
工業製品になった気分になって涙が出た時もあった。
「はい、それでは治療を開始します」
と、スピーカーが言う。そこからはほんとうに1分くらいで終わる。
また看護師さんがどこからともなく戻ってきて、治療台が下がり、体を起こすのを手伝ってくれる。
抗うこともできず蓄積する疲労感
疲れるようなことは何もしていないと思う。でも、じわじわと疲れがたまるのは、どうしようもない。
12月1日からスタートして、翌週末の12月9日の金曜日には心身ともに疲れ果てたことを自覚して、翌日10日の土曜日の朝は起きられなかった。
次の週は、月曜日に楽しみにしていたライブに行ったりはできて、気持ちは前向きに元気だったけれど、やはり16日の金曜日午後はものすごく眠く、疲れていた。17日の土曜日の夕方の楽しみにしていた予定はキャンセルした。
私の場合は期間が短く3週間なので、あと残り4日。19~22日までの4回通ったら終わる。
比較してもしかたのないことはわかっているけれど、これが5週間、もっと、という人の方が多い。その疲れ方は想像に難くないけれど、私の3週間でさえ楽勝ではない。
治療が始まる前は、皮膚症状が憂鬱だった。皮膚の深部から盛り上がってくる日焼け症状というものがこわかった。
今はもう、皮膚のことは「傷以外はいずれまた消える」とわかっているので、せっせと保湿ケアするのみ。ピリピリとした痛みもあるけれど、それも耐えられないほどではない。
なんともいえない、この地味に溜まる疲労感の方が、ずっとずっと厄介なのだった。