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【私が会社を辞めたわけ】なんの因果か、父が亡くなった年に会社を辞めた12年前

あと数日で、会社員を辞めてからまる12年になります。
なんだかあっという間のような、もっと前からずっとフリーランスだったような気もします。
会社員時代のときも、フレックス勤務というか、出社時刻も退社時刻も決まってはいたものの、そんなにきっちりしていなかったからかもしれない。

退職願を出したのが2012年8月31日(たしか満月だった)で、少しだけ有休を消化したあと社員証を会社に返した日がその2カ月後の10月31日。
そのあとも荷物を片づけきれなくて、2日くらい通勤していた、というフレックス退社? ルーズといえばルーズな感じでした。

「辞めたわけ」としては会社が希望退職者を募ったから辞めた、のでした。ある日の社員総会で、社長が希望退職について説明するのを聞きながら、そんな噂はちらほら聞いていたからたいして驚きもせず、ぼんやりと「あ、今なんだな」と思ったのだった。そう思った瞬間から、そうか辞めるんだなという決意はかたまったのでした。

そんな話を、書き留めておこうと思います。

なぜか家業を継いでしまった

そもそもなぜ出版社に勤めたかというと、単純に本が好きだったからだった。
編集者なんて継ぐような仕事じゃないんだけれども、なぜか父と同じ職業になってしまった。スキー場で「あっちに行ったら、がけから落ちる」とわかっているのに、気をつけようと思って見ているうちに、なんでかそっちに滑って行ってしまうのと似ている。

高校時代、いや大学も4年生になる手前まで、編集者なんて朝も夜も遅いたばこ臭くていつもお酒飲んで帰ってきて子どもとほとんど会わないような仕事には就くまいと思っていたし、ほんとうはプラネタリウムの解説員になりたかった。
でも、プラネの解説員はなり方がわからなくてあきらめて、じゃあ星以外で好きな事って何だろう、と「自己分析」をしてみたら、何かをつくること、というところに行き当たり、それは「本」だな、ということになった。

そこで父には止められた。編集者は女がする職業じゃない、と。当時、父には女性編集者仲間がいて、私も何人かお会いしたことがあったけれど、皆さんとってもかっこよくて優秀な方々だった。自分で自分の食い扶持を稼ぎ、モード系とまでいかないものの、当時の中年女性が好むファッションとはちょっと違う、でも堅苦しいスーツではない装いで、たばこをふかす姿も様になっていた。
小学生の頃に好きだったドラマ「ちょっとマイウエイ」に出てくる、桃井かおりさんみたいだったんだ。

とはいえ、特別彼女たちに憧れたわけでもない。
父は私に、当時の「フツー」のお嬢さんらしく、とっとと嫁に行って家庭に入って幸せになってくれ、と思っていたらしい。彼女たちは、結婚していなかった。それは編集者だからではなくて、たまたまだったことも会社に入ったらわかった。会社には結婚も出産も育児も「フツー」にしている女性が多かったから。

父の言うこともわからなくはないれど、まあ時代も違うよね。とか思っていた。
就職活動はバブル期だったから、欲をかかなければどこかの企業に入れる時代だった。それでも出版社は採用する人数が少ないし、そもそも採用予定がないところも多くて、難航した。でも、なんとか就職できた。

父による呪縛のことば「会社にはかじりついておけ」

父からは、「週刊誌を出している出版社には入るな」と言われて、そこだけは守った。なぜなら毎週校了があって必ず徹夜があるからだ。
父自身がちょうど週刊誌の編集部にいたころだったから、その大変さは横で見ていてわかっていて、なるほどそれはやめておこうと思ったりした。
なので週刊誌を発行していない出版社に就職した。おかげで、午前様の残業はよくあったけれど仕事で徹夜したのは1度きり。飲みのオールはよくあったけれど。

もうひとつ、父から就職後ずっと言われ続けたのは、「会社は絶対辞めるなよ、かじりついておけ」だった。
それは父が、会社を辞めてフリーランスとして事務所を立ち上げたのがオイルショックと重なって、他にもいろいろあって大借金を抱えてすごく大変な思いをしたから、なんだろう。
母が、私にわからないようにしてくれたから記憶がないけれど、借金取りもすごかったらしい。うちの中はとても暗かった。ピークは私が小学校1~2年生のころで、私も暗い子どもだった。
そんなことにはなりたくない、と思っていた。

何の因果か、父が死んだ翌月に会社を辞めることになった

わかる、父が言いたかったことはよーくわかる。あの頃、子ども心におやつがあんまりないことが悲しかったから、私は定年退職まで会社にいるんだろうと自分でも思っていた。
平成元年入社組の同期は9人だったけれど、最初の10年くらいの間にポロポロと辞めていき、残った同期は3人だった。

と言いつつ、実際に会社を辞める数年前から、フリーランスになることは考え始めていた。

父は最後は病気で、2012年の1月に倒れたあと手術の甲斐なく寝たきりになり、しゃべれなくなり、目も開かなくなり、だんだん衰弱して79歳の9月9日、重陽の節句が命日となった。
8月に入って、もう聞こえているのかどうかもわからない耳元に向かって、
「お父さん、私、会社辞めるからね。辞めるなって言われてたけど、やっぱ辞めることにしたから。」
と伝えた。聞こえていたかなぁ、あのとき。

そんなわけで、退職届は満月の日に出したかったので8月31日、父が亡くなったのは9月9日、退社日は10月31日という順番だった。
何の因果か。


最近読んだ、稲垣えみ子さんの「魂の退社」に触発されて、なぜ自分は会社を辞めたのかを書いてみようかな…と思ったのと、
もうすぐ会社を辞めて12年がたつので書き始めてみました。
「私の魂の退社」の話はもう少し書き残したいことがあるので、
たぶん、続く。



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