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白酒のおかげで、大学の日本語教師枠をゲット!?

海外で日本語教師になるにはいろいろな方法があると思いますが、私の場合をちょっとご紹介したいと思います!

海外インターンシップ

まず遡ること、大学4年生の前期。就活を終え、大学生活も残り後期のみとなっていました。

就活を終えて思ったことは、自分にはまだこれといった強みがないこと。

あれだけ就活では自分をアピールしていたのに、、、大学3年になって急に自信をつけようとしたり、人との違いについて考えることは私には難しかったです。

今までどれだけ同じであることの大切さを教わってきたか、、、輪を乱さないように頑張ってきたのに、急に個性だと~!なんて思っていました。

自分のことをわかっている人はどんな状況でもわかっていますよね、、、。私は就活を終えても自分に自信がなく、このまま卒業してはいけない!という気持ちが日に日に高まっていました。

私は関西人魂なのか、もと取るで!という意識が高いんです😂大学で高い学費を払ってるんだから、できるだけ多くの授業を取っていろんなことを学びたいと思っていました。卒業するためだけの最低限の単位を取るのは嫌でした。

そんな風にガツガツしていたおかげで、😂4年の前期で卒業できるだけの単位は取れていました。そこで後期に海外日本語教員インターンシッププログラムに参加することにしました。このインターンがのちの大きなきっかけとなります。

インターン生として大学で教える

中国語を第二外国語として選んでいた私は中国を選びました。それに同級生たちが前期同じプログラムで中国へ行っていたのでいろいろな話も聞いていてイメージしやすかったので、そうすることにしました。

私は北京のある私立大学に派遣させてもらい、約半年間日本語を教えることになりました。

そこでのインターンの出来事などはまた後日にまとめますね。

インターン先での先生方

派遣された大学の先生方はとても優しく、気さくな方々でした。

アイドル的存在の若い男性教師。

お酒大好きな日本語学科の主任。

学生から慕われているお母さん的存在の教師などおもしろい先生方がいました。

先生だからといって、プライドが高いという感じではなく、教えてください!と私なんかにもいろいろ聞いてくれて、、、勉強熱心な先生方でした。

そして日本人教師の方が2名いらっしゃり、私を温かく見守ってくれました。落ち込んだ時はいつも励まし、ご飯を作ってくれたりもしました。日本の大企業で働いていらっしゃった方と、人事部長をされていた方で退職されてから日本語教師として活躍されていました。人生経験豊富な先生方には日本語教育のことだけでなく恋愛の相談にも乗ってもらいました。

先生方との飲み会

インターンの期間中、多くの食事会に招待してもらいました。

食事会というほどのものでもなく、なんとな一緒ご飯食べませんか?と誘ってくれることもありました。

そのある食事の席で、主任が鞄の中にこっそり持って来ていたもの、、、それが"白酒"でした。

ちなみの中国では持ち込み料金さえ払えば、酒などの飲み物を持参してもよい店があります。

主任は午後から授業という日も酒を飲むほどお酒が好きでした。一緒に酒を飲んでいる先生方ももちろんいました。私もどうぞどうぞと言われたら、断れない性格なので、(ビールが大好きなので)飲むこともありました。

余談ですが、一度酔っ払った先生の代わりに、授業を担当したこともありました。笑 こんなことが起こるのも中国ならではですね。

話は戻して、、、

主任は白酒を取り出し、白酒用のグラスをウェイターさんお願いし、みんなに配りました。

主任は「お酒を飲んだら、日本語がうまく話せるんですよ!」とよく言っていました。

リラックスするって外国語を話すうえでは大切なんだな~と白酒を抱えて嬉しそうな主任を見つめながら改めてそう思いました。

私はお酒が強い方で、何よりお酒が好きだったのでもちろん白酒をいただきました!

乾杯の際に

「もし将来日本人講師が必要になったら、まず私に連絡ください!」

とお酒の勢いで何度か言ったのを覚えています。スキあればこのセリフを言っていたかもしれません。

もともと高校生のときから憧れていた職業だったのですが、インターンを通してより一層この世界で働きたいと思うようになりました。

しかし、自分は就活を終えた身。つまり就職先は決まっていました。

新卒採用、日本企業で働く

そんなこんなで4月から、京都にある企業で働くことになりました。

私は京都府出身なのですが、市内での生活にいつも憧れていました。その生活が晴れてスタート!

日本語教育、中国とは全く違う業種の仕事でした。私はその頃、自分は営業職に向いていると勘違いしていました。ですから、営業として働いていました。

チームの方はみんないい人たちで、その当時の同期とは今でも会ったりしています。

とてもいい会社でおもしろい人たちがいて、気の合う同期もいました。そして憧れの京都市内ライフ。仕事もとりあえず3年続けたらいろいろわかってくるかな?と頑張るもりでした。好きになろうと努力もしました。

でも心のどこかでこの生活はいつまで続くのかと考えた時、なぜか絶望感を感じました。

そんな時emailが届きました。

運命のメッセージ

そのメッセージはインターンをしていた先でお世話になった日本人の先生からでした。

日本語教師としてその大学で働かないかという連絡でした。

北京にいた唯一の日本人の友人にすぐ連絡し、背中を押してもらい、すぐ「行きます!」と返事をしたのを覚えています。

入社して2ヶ月目にして、私は中国へ戻る決心をしました。

入社して1年は日本で働き、翌年北京の大学で日本語教師として働き始めました。

この時上司もすごくいい方で、

「いつか海外行くと思ってたよ。」と冗談も入れながら、応援して見送ってくれました。

やっぱり白酒効果?

後々になって、なぜ私に連絡をしてくれたのかという話になったのですが、、、

実は私の前に採用されていた方がいたそうなんです!!😂

その方がなんらかの理由で来られなくなったので、代わりに誰かいないかな~と考えたところインターンで来ていた私を思い出してくれたようです。

一番目の候補じゃなかった、、、とはいえ、そんなことはどうでもいい!どんな形でもチャンスを手にできたことはラッキー!!笑

白酒飲んでお願いした事も少しはよかったのかな?

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