「夢を邪魔するもの=コンプレックス」というお話
ブエノスアイレスのお洒落なカフェを楽しむなら朝がいい。
もしくは早めのお昼。
この街が一度動き出すと、とても騒がしいから。
ブエノスアイレス中の多くの Tango ミュージシャンや、ダンサー達がコロナ禍で大変な状況にある中、私は申し訳なくなるくらい、日本から様々な依頼を頂いたりして絶好調の様に見えるかもしれないし、有り難いことに実際そうだとは思う。
皆に応援してもらって制作が可能になった1st CD も完成間近、Tango 歌手としての自身のHPの準備にも入って、全てが順調満帆のはずなのに、目に見えない不安が押し寄せて呼吸が浅くなっているコトに気づいた。
「おかしいな?」「何でだろう?」と考えていてたどり着いた答えは、「今更何を言ってるんだ!」と笑われてしまいそうなコト。
CDジャケットの撮影のために、メイクさん、カメラマン、グラフィックデザイナーが、私のために、あーでもない、こーでもないと論議を交わしている中、
「私…、本当に歌手になるらしい…。」とビビッている自分を見つけてしまった。
これまでは、行き過ぎた趣味、と言ったら語弊があるかもしれないけれど、とにかく「Tango が歌えるようになりたい」その思いだけで突っ走ってきたのだ。
“歌手になりたい”という野望をもってこの国に来た訳ではない。自分が本当にしたいことを真剣に考えて、自分の魂が求めるままにここまで来ただけなのだけど、気づいたらこんなトコロに辿り着いてしまった。
じゃあ、なんで「歌手になる」という響きが、なんで私をそんなに不安にさせるのだろう…。
なんとそこでまた驚きの答えに辿り着いてしまった。
お母さんである…。またですか!頼むよ、ママ…。
「お母さんは太っているから歌手になれなかった…。」
それが、とてもとても歌が上手かったけれど、プロという意味で夢を叶えられなかった母の言い分であった。
何度も何度も、その言葉を聞かされて育った私は、「歌手=細くて綺麗じゃないといけない。」という固定概念を植え付けられた。しかも、エンタメ業界で仕事をしていた時代は、いかに可愛い子を発掘して育てるか、ということで頭がいっぱいな大人達の中にいたのだ。
ブエノスアイレスのミロンガというのは、この私のおデブちゃんコンプレックスに苛まれるのに最適な場所である。
信じられないくらいスタイルが良くて、目鼻立ちがはっきりしていて魅力的な女の子達や、セクシーでエレガントな女性達が「女の魅力」を最大限に見せつけながら踊っているのだ…。
アルゼンチン人がどんなに、「僕たちは掴めるくらいのお肉のある豊満な身体が大好きなんだよ!Kaori の身体はパーフェクトだ!」と言ってくれようと、長年憎しみ続けてきた、でっぷりと脂肪の乗ったお腹を好きになれるハズもなく…。
最新作で出来上がってきた ”Fuimos” のビデオを観ても、最初に目に飛び込んでくるのは、逞しすぎる二の腕に、ぺちゃんこで上を向いた鼻に、丸々・テカテカとした顔。
「あぁ…、子豚ちゃんの様だ…。なんで、どう見えてるかビデオチェックしなかったんだ、私…」と落ち込んでしょうがない。
この数年のアルゼンチン生活で蓄えに蓄えた脂肪ちゃんとおさらばすべく、かなり厳しめのダイエットに数カ月励んだものの、40歳を越えた身体は、昔のようにするすると体重は減ってくれない。筋肉がうっすらと見えるようなモデルさんの写真達を眺めながら、ある時ハッとしたのである。
「多分、私がこの身体で歌ってたとしても、ちょっと違うなぁ…。多分、応援してくれてる皆は、Kaori のこのまん丸してて、優しそうな感じが好きな気もするなぁ、なんとなく。うん…。」という考えが浮かんで、ここ数日考えていた「私は、どんな歌手になりたいんんだろう?」を改めて考えてみた。
一つには、私は「Tango の悲しみを歌うことで、人々の痛みに寄り添う歌手」になりたい。
そして多分、もう一つは「私も頑張ろう!」とか「私も何かできるかも!」というエネルギーや勇気を与えられる歌手になりたいんだと思う。
お母さんの時代は特に、そしてエンタメの世界というのはきっと今も変わらず、細い=美しさ、という正義があったかもしれない。
更に日本のスタンダードはかなり華奢だ。
時代は変わってきているし、様々な「美」の概念が登場している。
何よりも、自身の「美しさ」を知っている人ほど、輝いている時代になった。
皆、ないものねだりだ。
私は、スラリとして、ミロンガでも人気者の特大の笑顔を持つバイオリニストの彼女がいつも羨ましかった。でも、この前、衣裳の相談をしていたら「私はそんな身体の曲線がないから。」とポツリと呟いた。
私は、いつも自信に溢れていて、社交的でスタイルの良い友達の歌手が羨ましかった。でも彼女は真剣に自分の髪の毛のことで悩んでいる。
街ですれ違う女の子を見る度に「いいなぁ、細くて…。」と考えてる時間がもったいない気がしてきた。痩せない痩せない、と悲しくなったりストレスを感じるのも、そろそろ終わりにしたいものである。
そんな中、件の ”Fuimos” のビデオをアップすると、「日本でも早く聴きたい!」「涙が出ちゃった」と嬉しい言葉の数々を頂くことに。
一番、見た目に囚われてるのは、私なのかもしれない。
本当に届けるべきものは届いているし、それが「可愛いね」「キレイだね」と言ってもらえるよりも嬉しいというコトに気づかされたり。
使い古されたフレーズかもしれないけれど、
「大切なコトは目に見えない」
それを私自身が一番理解するために、それを地でいって皆に伝えるために、今世はこんな容姿で生まれたのかもしれないなぁ、私。
…と言いつつ、来世は絶世の美女で生まれ、スタイル抜群の Tango ダンサーになりたい、という夢を持ち続けてしまう Kaori なのでした。
チャン、チャンっ♪