こどもとうみ「わかっちゃいるけれど、ついやっちゃう声かけ失敗事案」
「上手に出来たね〜」 「早かったね〜」 ちょっと誉めたつもり。
上手い下手を決めたかったわけじゃないのに。。。
早い遅いを評価したかったわけじゃないのに。。。
つい使っちゃうことで、そんなことに発展してしまったことが度々あり、使っても良い場面とそうでない場面をよくよく考えるようになっていったという経緯が私にもある。それでもまだたまに やっちまう時がある。
「早い」「上手」そこに反応しない子もいるけれど、ビビビッと瞬時に反応する子もいる。先に述べた「使っても良い場面」と「そうでない場面」とは、相手によって気をつけるという意味。絶対に使ってはいけないNGワードとは思っていないからである。
いつもお支度がゆ〜っくりな人が今日はいつもより早く出来た時などは、「早かったね〜」と使っても良いと思っている。なぜならば、比べている相手が同じだから。その人の昨日とその人の今日。
自分で描いた絵を「上手く描けない」と言い続ける人には、いくら周りが「上手だよ〜」とか「うまく描けたね」と声をかけても届きづらい。自分が納得した時に「うまく出来た!」と思うのだから。だからその言葉を浴びせない。その代わりに「今日の絵、私は好きだな」と伝えたりする。ファンが増えたら自信に繋がるかもしれないからね。そして、その好きの気持ちは嘘じゃないし、盛ってもいないから。
上手だね〜の上手の根拠を考えちゃう人もいるってことを、大きくなってから知った。私自身はなーんにも深く考えない、能天気な子どもだった。誉められたらまんまと有頂天になり、調子にのり、その気になる。それは困ったことに、ある意味、今も変わっていない。笑
おもしろかったのが、今の旅小で絵葉書を描いて「こども商店」で販売しているのだが、初めてその値段をみんなで決めた時のことだった。あるお店で売っているある人の手描きの絵葉書が1枚150円だった。とても力作で、パンチのある色合いの絵だった。それを見てから、自分たちのハガキの値段を決める時に出た言葉は、
「あんなにキレイに描けていないからオレのは10円だ」
「私はすごく丁寧に描いたんだから150円でも売りたくない」
「ボクはこれを描くのに1時間もかかったから、値段なんてつけられない」「でも高い値段をつけたら売れないのではないか?」
「じゃ、買いやすいように96円が良いんじゃない?」
「たくさんの人に買って欲しいから3円にしようかな?」
「ねぇカオリ!材料費っていくらくらいかかっているの?それよりは高くしないとだよね」
そんな話が1時間くらい続いたあと、、、、
「でもさ、絵の価値は買う人が決めるんじゃない?高くても『この絵が気に入った〜』って買いたいって人もいるかもしれないじゃん」
「売れなくてもいいけど、見てもらいたいから高い値段付けてもいいよね?」
などに発展したのち、「自分の思う値段をつければいい」と着地。
結果、96円〜120万円くらいまでの幅の値付けとなった。
自分の価値も自分で決めて良いと思う。誰よりも自分を知っているのは、自分なんだから。心がまだまだ柔らかいうちは、丁寧に。だから、大人も言葉を選ぶ。
そして、大人になる頃には、他人に決められた価値なんて跳ね飛ばすようになって欲しい。
determine your own worth