Ars longa, vita brevis
noteの記事が広まって約1ヶ月。目的が違うからと、テレビはじめほとんどの取材はお断りしていました。そして、NY TIMESが出て1週間。一気に世界中から反響が届いた。報道はやっぱり怖い。何が怖いかって、いくら報道と言っても、暴力あるいはそれ以上のものになってしまうことがありうるとここ数ヶ月で何度も感じたから。私は、荒木さんの勝手な言動、出版、報道によって、とても傷ついたし、生活が崩壊したこともあったけれど、今回、私がそれを他人に対してしてしまったのではないかという出来事もあり、数日眠れない日が続いた。彼の言う「編集者が勝手に書いた」という言葉も、そういう考え方もできたのだろうとも納得した。だからと言って、無責任に見て見ぬ振りを続けたことには納得はできないけれど、だからこそ私は同じことをしてはいけないんだと思って反省している。弱っていると、強いものにすがりたくなる。でも私は、そういうときこそ自分を信じようね。というメッセージを書いていたんだったと、ハッとしました。どのくらい弱っているかは、自分ではなかなか気づけないものですね。私はいつも、一人で抱えてしまう癖があったけど、今回はできるだけ自分に起きたことを周りの友人などと共有するように意識したから、ブレてもすぐ戻ってこれた。周りで支えてくれた方々、本当にありがとう。そして社会も、弱い人を思いやることに意識が向かっていて、いろいろな声が、とてもとてもありがたかったです。
というわけで、少し時間が経ってしまいましたが、最後に、どうしても訂正させて欲しい箇所が2つあります。1つ目は、NY TIMESの以下のくだり。
”During one photo session, she balked when he snapped Polaroid pictures of her and sold each individually without paying her any royalties. “That money that he earned is based on my contribution,” Kaori said.
“He says, ‘I am Araki, and you must be happy and honored that I am taking a picture of you,’” she said.”
ParisのPalais de Tokyoでのイベントを始め、私が踊って荒木さんがポラロイドの撮影をするライブシューティングパフォーマンスは国内外何度も行われましたが、それらに関して一切の報酬を得ていないまま売られたことは確かです。でも、その流れでも、撮影の時にも、私に対して「俺は荒木だ、ありがたいと思え」などと言われたことは、一度もありません。彼の性格の描写として「アラーキーだから、(写)神だからー」などと、ことあるごとに冗談っぽく語り、自分なら何をしても許されると正当化するような言動が多々あったとはお話ししました。それは、「言霊」というように、そう言い続けているうちに、彼自身がその言葉に飲み込まれてしまったように、私の目には映っていたからです。
そして、友人の松沢呉一さんが、メールマガジンのビバノン・ライフ ”KaoRiが求めたのは作品の否定ではない (15) の中で書いてくださったのですが、私にとって一番問題だったのはこの出来事でした。(以下、太文字は全て松沢さんによるもの)
”また、いかに揉めたとは言え、「有限会社アラーキーに対する名誉毀損と営業妨害に当たる行動を今後一切いたしません」という文書にサインさせるのはひどすぎでしょう。(中略)どういう過程であれ、表現者としての存在を否定したことについては、「それはないだろう」と思わないではいられませんでした。”
はじめの文章にも書いた通り、その後届いた有限会社アラーキー代表からの手紙も許せる内容ではありませんでした。でも、それに対しても荒木さんは完全に無視をし、その後の弁護士のやりとりに至っても、身勝手極まりない対応をされたことが、私の最大の怒りと悲しみでした。そして、今後も写真が世界中で出続け、売られていく以上、人を巻き込んで宣言をするしか私には方法がありませんでした。
”【両者の最大のズレは「アラーキーが、写真は被写体のものでもある」ってことを忘れてしまったことにある】ってこと。契約だのなんだのはすべてそのズレが出てきてからの話だし、それも被写体の軽視だよね。”
私だけではなく、メールをくれたほかの元アラーキーモデルの方々も同様に感じているようでした。じゃあ、なぜ契約書について大きく取り上げたのかというと、あの文章が元々、荒木氏への告発として書いたものではなかったからです。そういう見方を今の若い子たちに伝えておきたかった。だから、報道で"accuse"という言葉が出るたびにも心が痛みました。はじめにはっきり書いたつもりだったし、告発するならはじめからメディアの力を使っていました。
あの文章を書いたとき、私はまだ言葉にできなかったけれど、私は私のダンスを奪われたことが許せなかったのだと思います。静止画だから伝わらないかもしれませんが、私の写真はほとんどが私の意思で踊っているものです。そして、荒木さんの写真家人生が陽子さんの死であるように、私にとって、私のダンスもいつだって、亡き母とつながれる唯一の手段であり、自分の中で母を感じられる行為なのです。noteで一番最初に投稿したのも、そういうバックグラウンドをひっそり書いておきたかったからでした。荒木さんが、写真が人生というように、私にとってもダンスは私の人生で、有名人じゃなくても、その思いは平等にあって、それを完全に否定されたことが私の悲しみだったのだと思います。
そして、もう一つの訂正したいことは、タイトルです。私にとって荒木さんは、"EROTIC PHOTOGRAPHER"ではありませんでした。私にとっては、敬愛するピナ・バウシュやモーリス・ベジャールの舞台と同じように人間讃歌の写真家でした。もちろん、それは私の勘違いだったのかもしれないし、飯沢耕太郎さんのいうように私が出会ったときにはすでに過去のものだったのかもしれないけれど、いまでもやっぱり、それを彼の中に信じたいと思っている私がいます。捨てられた未練でもなく、16年一緒に時間を共有してきた親友への想いのようなものです。
いろいろな誤解を生んでしまったけれど、私は今後、写真がどこでどう使われようと、私にはなんの権利がなくても、”「これは私の写真である」”と自信を持って思うことができそうです。どうか、私の写真を見つけても、かわいそうな写真だと思わないでください。
この記事も英訳する必要があるので、手配して近々公開できるようにするつもりです。完全に自分擁護の文章なのは百も承知ですが、いま書ける私のまっすぐな真意です。( 5.19 updated*英訳するのはやめました )
社会意識も業界も、どんどん変わってきています。できれば、今後もずっと作品を残していくためにも、会社が荒木さんの作品やアートに対する理解を深め、ご本人と一緒に時代に対応できるシステムを整えてくれることを切に願ってやみません。
そのうち訴えられたらまた続きが出てくるでしょうけれど、私からは、全部終わりです。長々とお読みくださりありがとうございました。そして、翻訳の協力や取材を依頼してくださった皆さんには心から御礼申し上げます。全てを掲載できず、お受けできず申し訳ない気持ちでいっぱいです。そして、「私もこんなことがあったよ!」と勇気を持って辛い過去を打ち明けてくださった皆さんが、今少しでも穏やかに暮らしていらっしゃること、闇を光で満たせる時が来ること、願わくばまた手をつなげる日が来ることを心からお祈りしています。全部全部、読んでいます。苦しくなったら、スタジオに遊びに来てください☆一緒に踊りましょう。
KaoRi.
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