旅#1 母と2人でルーツの旅へ
こんにちは、かおりです!
今回は私自身のお話を書きたいと思います。
概要
・私は米国で生まれた
・2年前、初めて米国へ
・自分の生まれた街、病院、家を訪ねた
・気持ちの変化
私と生まれ故郷
1996年、私はアメリカのシアトルで生まれました。両親は日本人でしたが、父の仕事の関係でアメリカでの出産となりました。その後、1歳で日本へ戻って以降、私は一度もアメリカへ行った事がありませんでした。
小さい頃から、私の夢は『生まれた街へ行く事』。
就職した私は、遂に、その夢を果たす事ができたのです!
母とアメリカへ
平成が終わる2019年の春。23歳の私は、『死ぬまでにもう一度、アメリカに行きたい』と言っていた母と共にアメリカへ飛び立ちました。
私達の旅の目的は、
・私の産まれた病院へ行く事
・私達が住んでいた家へ行く事
渡る飛行機の中で、私はソワソワした気持ちでした。小さい頃からの『夢が叶う』という感覚が想像出来ませんでした。
まずは住んでいた家へ
バンクーバーに降り立った私達は、シアトルへ、アムトラック(電車)で向かいました。
シアトルは私が思っていた以上に都会的で、坂が多い街でした。バスの乗車券を買い、まずは私が生まれて初めて住んだ家へ行きました。ダウンタウンからバスを乗り継いで40分。降りたのは木々の茂る、静かな街でした。
4月下旬、まだ肌寒い春。
空は少し曇り。
蕾をつけた道端の花。
鉄塔の下で飼われている馬。
静かに流れる川。
3月に生まれた私は、アメリカまで来た祖父母に抱かれ、この辺りを散歩していたそうです。私は祖父と同じ誕生日でした。中学生の時に亡くなった祖父が、突然懐かしくなりました。
私が生まれて最初に住んだ家はアパートで、その家はまだ当時のまま残っていました。新しい住人がいる為外から眺めただけでしたが、そこで生活をしていたという事実が、私の存在が確かにここにあるという事を実感させてくれました。
産まれた病院へ
バスで30分。今度は私が産まれた病院のあるレドモンドへ向かいました。レドモンドは綺麗で落ち着いていて可愛い街という印象でした。私と母がバスを間違えて困っていた所を、Microsoftの素敵な男性に助けてもらいました。初めて来た場所でしたが、凄く安心感のある街で、ここで生まれたと言えるのが嬉しかったです。
病院のあった場所には、違う施設が建っていました。
それでも自分が生まれた場所に来た事は特別で、ここで人生が始まったというのが不思議な感覚でした。
ルーツの旅を経て
この旅を申し込む半年前、私は突発性難聴で右耳の聴力を失いました。不安と絶望の中、精神的に辛い日々が続いていました。まだ貯金が貯まっていない中で、全てを使ってでもアメリカに行こうと決意したのは『今やりたい事を、今やろう』と、思い立ったからです。
『いつか』じゃなくて『今』やる事で、後悔しないようにしよう。聴力を失って、後ろ向きな自分を前向きに変えたかったのです。
そして、実際に自分の生まれ故郷を訪れて『今、生きていることが素晴らしい』という当たり前の事に気が付きました。そして、育ててくれた親に感謝しました。
また、親と一緒に、この街を訪れたいと思っています。
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