文学の「社会的実用性」について
文学研究について呟いたらバズってしまいました。
ご覧の通り具体的な内容は書いておらず曖昧で、政治性も避けた文面です。そうすればバズらないと思っていたからです。
私はバズらないと思っていました。
なのでリプライや引用ポストなどの反応を雑に見てみる。初めてバズったのでちょっと怖かったのもあり、精読すると病む気がしたのだ。
バズらないように曖昧に書いたのだが、それが原因でポストが様々に解釈されている。
例えば私が具体的に何をアウトプットするつもりかの誤読である。
私は「文学研究」と書いた。これはアウトプットを学術論文か学会発表の形で行おうと考えているだからだが、どうも「文学創作」のアウトプットをするつもりだと解釈した人もいるようだった。
とは言え納得できる誤読だ。私も自分が他人だったらそう解釈していたかもしれない。
それに、たとえどんな研究結果に至っても、私は研究や批評より物語創作の方が得意だろう。私は最後には研究者ではなく詩人だ。
それに文学にまつわる市民社会コミュニティの語彙は面倒で、詩人の営みとして「研究」という言葉を使用しても違和感がない。詩人としての私は少し委縮してしまうが……。しかしそれは逆に、私が学術というものを過剰に高く見てしまっている顕れなのだろう。健康な価値観ではない。仮に自分が学術研究でうだつが上がったら、傲慢の限り思い上がる可能性もあるということだ。
「研究」という言葉をもっと素朴な営みを指す言葉に還元していきたいところである。「高尚な営み」を表現したければ「学術研究」と修飾すればいい。
さて私のポストへの反応に話を戻そう。もう一つの誤読は分野に関してだ。
「社会的実用性」という言葉を、私は非政治的人間として、政治的含意を考えずに使用したのだが、この言葉を政治的人間が、例えばバブル前の大学生なんかが見れば曲解して食いつきそうな言葉だ。
私は非政治的人間なので、言論、思想や宗教といった分野で「社会的実用性」を自分が揮うとは露ほども考えたことがない。
まして現代は言論の発信コストがとても小さいし、SNSではあらゆる言論の自浄作用が働く。だからたとえインフルエンサーなどになっても、個人の思想が社会を席巻するということはない。文学というメディアを政治利用できる時代は過去に終わっている。
宗教、セクト形成になら使える可能性もあるのかもしれないが、……こちらは私は興味がない。……と書いても証明しようがないのだが、弁を弄するわけではないが、バズってしまったポストに書いた「社会的実用性」の背景として考えていた分野は宗教ではないのである。とりあえず人文学から離れて欲しい。
私は「社会的実用性」という言葉を実学的なベクトル成分値高く使ったのだが、どうも政治的文学活動をするという意味で解釈した層は目立った。
じゃあどういう実用性なんだという疑問は尤もだし、こう書くとペテン師臭が漂ってイヤだが、詳細を書くと研究アイデアがダダ漏れなのである。だから「社会的実用性」なんて曖昧な言葉も使ったのである。
いわゆる文系畑の人間からすれば、アイデアを披露することの何が問題なのかと思う人もいるかも知れない。しかし理系畑の人に、論文にしていないアイデアや研究データをSNSに公表してと言ってみて欲しい。友達を一人失う辛苦を舐められるだろう。
そういう文脈で「社会的実用性」という言葉を捉えるのが、バズったポストを理解するというコミュニケーションにおいて正解だったのだが、たぶんそう確信していた人はあまりいなそうだ。ぼんやりと「そんなこともあり得るのだろうか…?」と思っていた人は少しいたと思う。バズり出す前に反応をくれたフォロワーの方には多かったと記憶している。そういう期待から「いいね」してくださっていた気がする。つまり私の文体に慣れている、日頃から私を観察してくださっている大切にするべき縁ということだ。
とは言え、実学的な側面に話が及ぶとは言え、成果は廻って、文学とは何かを考えるきっかけももたらすかもしれない。学術コミュニティでは既に為された議論でも、その外の市井で、数値の伴う文学研究という「形ある石」が投げ込まれれば、文学とは何かを考えたくなる人が出てくるかもしれない。そうなれば人文学へも微かに貢献できるだろうか。
また、私は「屁理屈」なしの社会的実用性という挑発的な言葉を用いたが、今回「屁理屈」で文学は役に立つという反応をしていた人が多くいて嬉しかった。要するに人文学の内側にとどまって役に立つという考えである。私とて「屁理屈」で役に立つと言いたいところではある。だって詩人なんだから。(私の著作を見てきて欲しい)とはいえ人文学に閉じて安住していてもよくないとは思う。少なくとも私単体に関しては。
もう一つ嬉しかったのは、文学専攻の学生のフォロワーの方が増えたことだ。バズってもフォロワーは増えないと思っていたが、ネット社会で人々の潜在的期待に触れてしまったのか、フォロワーが250人くらい増えてしまった。私が研究をサボると減っていくだろうから(というか具体的な報告もできないので減るだろうから)、あまり気にしないことにするが、それはそうとフォロワーのプロフィールには文学部の学生が散見された(Botやスパムを尽く叩き潰すブロックすることにしているので一通りチェックした)。
私も一応は文学畑で学を修めた人間なので嬉しい。このクラスターのフォロワー様のことは気にする。私も学部生に戻って心ゆくまで文学を読み耽りたい~~~