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先生の上書き

大学生の最後の一年間を、私は生化学の研究室で過ごした。DNAや遺伝子を扱う生化学には「難しい」というイメージしかなかったけれど、配属される前の研究室訪問(おためし配属みたいなもの)で、先生に心をつかまれてしまったのだ。



「折星さんは、卒業したらどんな仕事がしたいですか?」

研究室訪問で先生に聞かれ、逡巡した。当時私は栄養学を学んでいたけれど、新聞記者を志していた。学報の「卒業生の就職先」に並ぶ病院の名前、大学が気にする国家試験の合格率。出口はひとつ、と言われているようなその環境は正直苦しかった。正しい答えは「管理栄養士」であると知っていたのに、先生にはなぜか嘘がつけなかった。

「私は、書く仕事がしたいです。新聞記者になりたいです」

「素晴らしいじゃないですか。それならぜひ、うちへ来てください。大学は、専門学校じゃないんです。研究をするところです。研究って楽しいな、って思えたらそれでいいんです。この学科は、管理栄養士以外を目指す人には苦しいでしょう。最後の一年くらい、楽しいなって思ってもらいたい。どうですか。折星さんにぴったりだと思いませんか」

そうして先生に「スカウト」してもらった私は、生化学研究室に配属された。



私たちは、先生の定年前最後の研究生だった。だからというわけではないけれど、私を含めた四人の研究生が勉強をしているとき、白衣を着て実験をしているとき、先生はふとこう言うことがあった。

「皆さんが入ってくださってよかったです」

そんな先生と過ごす一年は、あのときの言葉の通り、四年間で最も充実した時間になった。目指さなければならない、と思い込んでいた職業から離れて、純粋に重ねた研究。ちょっと長い三時のティータイム。先生が写真をバシバシ撮ってくれた卒論発表。私宛ての新聞社の不採用通知に「もうそこの新聞は読みません!」と怒った先生を見て零れた、笑ったような泣いたような涙。ひとつひとつの思い出が、あのとき先生が言い当てた私の「苦しい」を上書きしてくれた。

大学は、研究を楽しむ場。楽しむことが、一番大事。

先生と出会えたから、そう言えるようになった。



先生は大学を定年退職したあと、山の上に「アトリエ」と呼ぶ仕事場を構えて、本を書いている。なかなかの売れっ子らしい。休みの日には、歴代の研究生を大集合させてバーベキューパーティーを開くことを夢見て、庭を開拓しているともいう。

少し前、先生のアトリエを訪ねたときのこと。研究室で飲んでいたのと同じコーヒーを淹れて、先生はこう言った。

「新聞記者に未練はないですか」

「ないと言えば嘘になります。機会があればリベンジしたいとも思っています。そう思いながら今の仕事を続けるのは、ちょっとしんどいですけど……」

「未練があるというのはいいことですよ。まだ出来るっていうことです。勉強したければ、これから大学院に行ったっていい。折星さんを落とした会社なんてほっといて、ニューヨークタイムズ狙いましょう!」

ニューヨークタイムズですか!と笑いながら、まだ進める、と言ってくれるその強さが伝わってくる。先生にはいつも、背中を押されるばかりだ。



次に先生に会ったら、こう言うつもりだ。

「先生、私、毎日文章を書き始めたんです」

先生が、楽しむことが一番だと教えてくれたから。信じていてくれたから。まだ出来ると言ってくれたから。

私はまだ、立ち止まらずにいられる。

先生はきっと、その姿を喜んでくれるはずだ。




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