あなただと分かるから

カヌレが好きだ。かりっと外側を齧ると、中からはどこかプリンを思わせるふるふるとした生地が現れる。ふわりと通り過ぎるラム酒の香りを追う、バニラの甘さ。初めて食べたときは感動したものだ。こんなにおしゃれで、おいしいお菓子があるなんて、と。

数年前、近所にカヌレの専門店が出来た。一番ベーシックなカヌレ・ド・ボルドー、抹茶やブルーベリーなどのフレーバーもそろっていて、オープン当初はお昼前には完売してしまうほどの人気ぶりだった。夕方のローカル情報番組でもよく取り上げられていて、いつか食べたい、とお店の前を通り過ぎるたびにショーケースを覗いていたけれど、そこはいつも空っぽで、早々にクローズの札がかけられているばかりだった。

しばらくすると人々の熱が冷めたのか、夕方にでもカヌレは買えるようになった。けれど、同じレストランでアルバイトをしていた友人と連れ立って買いに行ったカヌレは、期待しすぎたのか「ふつう」だった。

「〇〇さんのカヌレのほうがおいしいなぁ」

さくさくと齧りながら、アルバイト先のあるコックさんの顔が思い浮かんだ。厨房に行くと「かおりちゃんが好きなやつ」と、少し焼きムラがあるカヌレを分けてくれるのだ。お客さんのデザートプレートに乗っているような輝くツヤはなかったけれど、仕事の合間にそっと渡してくれるそれは本当に本当においしかった。

「今度言っとくよ。『〇〇さんの方がおいしかったってかおりちゃん言ってましたよ?』って」

空気中の水分を吸って外側がふやけてしまう前に。少し急ぎながら食べるカヌレはもったりと甘く、ラム酒の香りで酔ってしまいそうだった。

「かおりちゃん、俺さ、直接聞きたいな」

アルバイトの昼休憩、冷たいウーロン茶をごくごくと飲み干してあのコックさんが呟いた。

「え、本当に言ったの?」

「だって、嬉しいかなって思って」

横でまかないのお弁当を食べながら、彼とあの友人が「ねえ?」と顔を見合わせる。

「この間カヌレ食べに行ったんですけど、なんか期待したほどじゃなかったみたいで」

友人が振る。確かに、「おいしい」こそ直接言わないと。

「そうなんです。……私、〇〇さんのカヌレの方がおいしいなって思ったんです!」

「マジで!?嬉しい。すごい嬉しい。どれくらい?」

年上とは思えないほど目をきらきらさせて、またウーロン茶をごくごく飲む。

「もう、すっごく。こう……外側ががりっとしていて、〇〇さんのは気合を感じます」

「嬉しいわ。作り方、教えてあげるよ」

「気合伝わっちゃったかぁ」おどけながら教えてもらった分量とレシピを、スマホにメモする。シンプルな材料、手順は混ぜて焼くだけだ。けれど、焼く前に生地を一晩寝かせるのがポイントだという。さっそく次の休みに作ってみます、と約束した。

家で何度かやってみたけれど、私には全然おいしく焼けなかった。生地は膨らむばかりであのぎゅっと詰まった感じは出なかったし、焼き色もムラだらけだった。背の高さの違うカヌレを並べて写真を撮って、アルバイトへ行くたびに「どうしてですかね?」と相談して色々アドバイスをもらったけれど、結局卒業するまで満足のいくものは出来なかった。

アルバイトを卒業する日、みんなからの寄せ書きをもらった。今にも消えてしまいそうな水色のペンで、彼からのメッセージがあった。

カヌレ褒めてくれてありがとう。めっちゃ嬉しかったです。
飛ぶように売れるあのカヌレ屋にケンカ売らずに、うちだけのカヌレとしてこれからも頑張るから、また食べに来てね。

彼らしいメッセージに笑みがこぼれる。私が上手に焼けるようになったって、絶対にあのカヌレには敵わない。だって、あなたが焼いたと分かるあのカヌレが、私は好きなのだ。

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