25%はわたしの未来

ふと気づくと、新卒で今の会社に入って4年目になっていた。すべてが新しいことばかりだった1年目、自分の未熟さに何度も泣いた2年目、流行り病に翻弄された3年目。4年目になったいま、少し落ち着いて働けるようになったとは思うけれど、触れるとひやりとする気持ちはいつまでも心の奥底に居座っている。


「ここ」じゃないところで、働きたい。


今の職場に不満があるわけでも、悩みがあるわけでもない。それでも、どうしても「ここ」でやっていく、と決められない自分がいる。じっと今の仕事を見つめてみても、叶わなかった夢への思いはいつまでも心の奥底で燃えている。とうの昔に、薪をくべることなど止めたはずなのに。



4年前の夏、私は望む結果を手に入れられないまま、就職活動を終えた。第一志望の会社の最終試験の連絡は、いわゆる「サイレントお祈り」。いつまで待っても鳴らないスマートフォンを握ったまま、母に「だめだった」と伝えた。あまりにもあっけなくて、涙も出なかった。

翌日、憧れの会社の先輩や、応援してくれていた友人に結果を連絡しながら、ようやく泣いた。「悔いはない」「内定をもらったほかの会社で頑張ります」と、指先が痛むほどの強さでキーボードを叩きながら、自分に言い聞かせた。せっかく働くんだもの、仕事のことや会社のことを好きでいたい。上を目指して、進んでゆきたい。誰からの返信にもあった「頑張って」に恥じないように、しっかりと背筋を伸ばして働くつもりだった。

それでも私は、入社してからもずっと「ここ」ではないところで働く未来を見据えていた。仕事で関わる広告の原稿やWebサイトの文章の先に、憧れの仕事を重ね合わせた。業績評価のための面談シートに記入した自己研鑽は、いまの会社のためではなく、入りたかった会社へのリベンジに備えてのものだった。原稿の仕上がりを褒めてもらったり、面談で「自己研鑽を頑張っているね」と上司に言われるたび、胸の奥がちくちく痛んだ。



「仕事の調子はどう?」

学生時代にアルバイトをしていたレストランに休日に顔を出すと、いつも支配人に尋ねられる。あるとき、お客さまにもおいしいと評判だったコーヒーを淹れてくれる支配人に、ぽろりと本音を零したことがあった。

「お客さまのため」と心から思えていない自分。いまの会社の利益に興味が持てない自分。そして何より、「ここ」ではない仕事を見つめていなければ、頑張れない自分。

心配はさせたくなくて「でも、周りのひとにはよくしてもらっているんですよ」と付け足して笑うと、支配人はこう言ってくれた。

「いいよいいよ。100%じゃなくていい」

喉の奥がぐっと熱くなって、言葉がつかえた。「ここ」にきちんと向き合っていない私は、そもそも「100%」を目指せていないのに。そんなに優しい言葉をかけてもらえるほど、綺麗じゃない。まっすぐじゃない。

それでも、支配人は私がアルバイトをしているときから「頑張りすぎるな」と言ってくれるひとだった。

「かおりちゃんは、そうだな、75%くらいで頑張ったら十分よ」

「アルバイトの学生」ではなくなっても、変わらずかけてもらえるその言葉にふっと心が軽くなった。「75%でいい」。焦りや不安で心がいっぱいになってしまいそうなとき、ひとりで通勤する車の中で、今でもそっとつぶやくことがある。


「ここ」じゃない。そう思いながら働くことも、きっと悪いことじゃない。割り切れない思いは、「憧れ」への思いが本物だった紛れもない証拠だ。それに、私はいつか進みたい「ほかの道」を見つめることで、進んで行ける。磨きたいものがあり、手に入れたいものがある。それをいまの仕事に生かすことが出来たなら、それはそれでとても嬉しいし、きっと誇ったっていい。そして、その先にいまよりも「いまの仕事」が好きな自分がいたらいいな、とは心の底から思っている。

「どこ」か「いつ」かも決まっていないうちからそう考える私は、やっぱり往生際が悪いのかもしれないけれど。

100%まで足りない25%分は、「ここ」にはとどまらないという意思。まだ見えない未来を楽しみに、私は働いていたいのだ。

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