もう一度あのときに戻れるなら
私は、おばあちゃん子だと思う。生まれたときから一緒に住んでいて、もしかすると今でも一日のうち、母よりおばあちゃんと話をする時間の方が長いかもしれない。頑張り屋で、いつも話を聞いてくれる、大好きなおばあちゃん。手作りのコロッケがとってもおいしくて、お菓子でも私が「これおいしいね」と言うとたくさん買ってきてしまう、優しいおばあちゃん。
私は、そんなおばあちゃんを、一度だけ泣かせてしまったことがある。
幼稚園に通っていたころ、ちょうど母が妊娠していて、おばあちゃんが私の世話をしてくれている時期があった。おばあちゃんはいつもきちんとしていて、習い事の迎えに来てくれるときもお出かけ着を着ていた。私が手伝いをするようになると、「エプロンがいるね」と言って一緒に手縫いでエプロンを作ったりした。大人になってから、「丁寧だね」と褒めてもらうことがあるけれど、そう言ってもらえるのは、こういう姿を見せてくれたおばあちゃんのおかげだと思っている。
外出するときにハンカチとティッシュを持つように教えてくれたのもおばあちゃんだった。その頃、柄や香りのついたポケットティッシュが流行っていて、私のお気に入りはフルーツの柄だった。周りの友達はキャラクターの柄のものを使っている子が多かったけれど、おばあちゃんが選んでくれたフルーツ柄は少し大人っぽくて、ちょっぴりお姉さんになったような気がして嬉しかった。
ある日、いつも通り話をしようと部屋に行くと、おばあちゃんは鏡台に座って化粧をしていた。「おばあちゃん、」と話しかけると、振り向いてこう言った。
「かおりちゃん、ごめんね」
私がスカートのポケットに入れたままにしていた、お気に入りのフルーツ柄のティッシュを洗濯してしまったのだという。ティッシュを買ってくれたのも、洗濯してくれたのもおばあちゃんなのに、「ごめんね」と。そこで私の記憶は、ぷつんと途切れる。
そして気づくと、おばあちゃんは鏡台に伏して、声を上げて泣いていた。きっと私は、取り返しのつかないことをしてしまった。頑張り屋で優しくて、今まで一度も泣いている姿を見たことがないおばあちゃんが泣いて謝るほど、私はひどいことを言ったのだと思う。そこからどうやってその場を離れたのかも覚えていないのだけれど、きっと意気地なしの私は何も言わずに立ち去ってしまったのだ。
数日後、おばあちゃんは袋いっぱいの香り付きティッシュを買ってきた。何事もなかったように「使いんさい」と笑顔で渡してくれた。全部私が悪いのに、謝らないといけないのは私なのに。その袋はずしんと重くて、それでも涙が出るのが怖くて「ごめんなさい」が言えなかった。
「もしもタイムマシンがあったら?」
雑誌の芸能人のインタビューでこんな質問を見かけるたび、私の記憶は瞬時にあの日まで遡る。雑誌の中のアイドルは素敵な笑顔でほほ笑んでいるのに、私の胸はちくちく痛い。これまで何度も思い出して、何度も謝ろうと思っているのに、肝心な部分を覚えていない私は馬鹿だ。まだ謝れていない私は、あの頃から変わらず、意気地なしのままだ。「あの日に戻って『ごめんなさい』と言うこと」。そう答えたって、もう戻ることはできないのに。
おばあちゃんは、あの日のことを覚えてくれているだろうか。まだ、これから謝ることを許してくれるだろうか。私が昔の話をすると「よう覚えとるねえ」と言って、それでも最後までちゃんと聞いてくれる優しいおばあちゃんは、もしかすると覚えてないふりをしてくれるのかもしれない。
それでもちゃんと話してみよう。分かってくれるまで、説明しよう。いつも通り、「今日ね、文章を書いたんだけど」と口を開く。たったそれだけの勇気があればきっと、私はあの日に戻れるはずだから。