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おとうさんの娘だから

「ねえ、今日電話してもいい?」

沖縄に住む双子の姉から時々LINEが送られてくる。

「いいよ」

素っ気ない返信をすれば、スマホの画面はすぐに光る。



彼女が電話をかけてくるときには、いくつかのパターンがある。観た映画がとても好みだったから語りたいときと、家事をするのが面倒くさくて何となく話し相手が欲しいとき。それから、疲れて疲れてどうしようもないとき。

昨日久しぶりに電話がかかってきたのだけれど、第一声でどれか分かる。今回は一番最後のパターンだったらしい。電話口からはずるずると鼻水をすする音が聞こえて、ひたすら「疲れた、疲れた」と繰り返す。話を聞けば、職場で求められていることが自分は出来ていない、疲れてしまって家では何も出来ないから自分の穏やかな生活もままならない、と言う。そして何より、就職をきっかけに沖縄に住み始めたために、くだらないことを話せる話し相手がいないのが辛い、とも。

電話は二、三時間に及ぶこともあり、正直かなり消耗する。お互い一切の遠慮なく、思ったことをストレートにぶつけ合うからだ。悩みに対する私の提案がばっさり切り捨てられることも、「私もこんなことあったよ」という慰めが「何が言いたいのかわからない」と言われることもある。けれど「じゃあ私に聞かないで」と突き放してしまいそうになると、彼女はいつも言う。

「でも泣きながらお母さんとかに電話かけたら、心配するでしょ?」

嗚咽をこらえる声が痛々しくて、喉元までせりあがってきた私の言葉はうぅ、という呻きに変わる。

「何か、おいしいもの食べて」

私に言えることはそれくらいしか、なくなってしまう。

「……」

「ほら、アイスとか?好きだったよね?沖縄はもう暑いでしょ?」

「アイスかあ……ちょっと前はよく食べてたけど、食べた後に罪悪感があるし、結局お金の無駄遣いだなって思うし、最近買ってない」

「全然お金の無駄遣いじゃないよ!ほら、覚えてない?お父さんの『世紀の大発見』」


昔から家族でアイスを食べるとき、父が決まってする話があった。

「お父さんは、大学生のときに世紀の大発見をした」

その発表は仰々しく執り行われる。なになに?と目を輝かせていたのは、一番最初に聞いたときだけだけれど。

「アイスを食べているとき、人間は無心になる。アイスは人を100円で幸せにしてくれる」

話を聞くたびに大学生だったり社会人だったりするけれど、そこはご愛嬌。それだけ?と思いつつも、幼かった私は妙に納得したものだ。


「えー?そんなことあったっけ?」

「あったよ、お父さんよく話してたもん。ね、100円くらいだしさ、自分にご褒美してあげたらいいじゃん」

「うん、そうだね。ふたりともお父さんの娘だしね」


落ち着いたら、「明日も仕事?」とどちらからともなく切り出す。遠慮のない私たちは「またね」を言うまでにそんなに時間もかからない。

まだ沖縄の家に遊びに行ったことはないけれど、そのときにはちょっと高いアイスを冷凍庫に忍ばせて帰るつもりだ。アイスでも食べて元気出して。だって私たち、ふたりともお父さんの娘だから。








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