鶴の月

【初めに】
今日は一月十八日。井戸の底の民にとっては、小井伊谷の日。
何とか間に合うよう、短いお話を書いてみました。昨年から書き続けている、竜宮小僧モチーフの話です。政次と玄蕃は4、5歳離れている設定で書いています。
当方幸せ政虎派ではありますが。竜宮小僧シリーズは短いお話の連作なので。単話で明確なハピエンとはなっていません。
いずれpixivにこのシリーズも上げるつもりですが。最終話ではハッピーエンドに力技でも持ち込む予定です。

本作、タイトルが中々決まらず。サントラ収録曲からタイトルを借りました。BSで初視聴の方は、ネタ元検索はお勧め出来ないのですが。完走勢の皆様は、タイトル曲を連想してお楽しみいただければ。

寡作の遅筆自認の割には、今年結構書いてますが。中々思うように長編に取り掛かれず。でも殿と同じく諦めは悪いので(笑)、コツコツと書ける時に書ける物をまずは書いていきまする。

【必ずお読み下さい】
本作は某作品の二次創作です。二次をご理解いただけない方は、ここで引き返して下さい。作中キャラクターの名と大まかな設定などは、ドラマから借りていますが。実在の人物、および演者の方とは何ら関わりがありません。
また筆者は政虎推しで、基本政虎の話しか書いておりません。こちらも許容出来ない方は、ここで引き返して下さい。
それでは以下本編です。

「亥之助、良いか。碁とは盤の上の戦じゃ。慣れぬうちは、己の陣を守ることを第一にせよ。勝ちを焦ってはならぬ。相手の石ばかりを見ておると、足を掬われる。良いな」
「はい!」
小野の館の、濡れ縁に置かれた碁盤の右上に、亥之助が黒石を打つと。鶴丸は白石を左下へ打つ。
「ええと、兄上」
「まず己の頭で考えてみよ」
「はい…」
その後も亥之助は、助けを求めるように兄をチラチラと見上げたが。鶴丸は容赦なく石を打ち。呆気なく勝負がついた。
「うっ、ううっ」
「斯様なことでいちいち泣いては、先が思いやられる。良いか亥之助、碁はー。うわっ」
いきなり頭に被せられた手拭いを慌てて払い、驚いて立ち上がると。そこには。
「次郎様、何を」
「何をではない。亥之助、大事ないか?」
「じ、次郎っ、さま。う、ううっ」
「よしよし、辛かったの。鶴、亥之助はまだ六つじゃぞ。五目並べで良いのではないか?」
「…俺が父から碁を教わったは、五つの時じゃ。武家の男は元服を終えれば、いずれ戦へ赴くこととなる。それ故早い内から碁を打った方が良いのだと。父上は言うておられた。これも戦備えじゃと」
「それは。鶴が小野の嫡男だからであろ?亥之助は次男なのじゃし」
「俺に何かあらば、亥之が家を継ぐこととなる。前のようなことが、向後起こらぬとは限」
「そんなことは、我がさせぬっ!竜宮小僧が鶴も亥之助も守ってやる!大じじ様が、また鶴に酷いことをしたら。二度と川名へ遊びに行かぬと言うてやる!中野殿や奥山殿が酷いことを言うたら、二度と口を聞かぬ!」
仁王立ちで顔を真っ赤にして、涙目で吠える次郎を。鶴丸は呆気に取られ、眺めていたが。騒ぎに驚き、家人が此方へと来る気配を悟り。慌てて立ち上がると。次郎と亥之助を己の部屋へと誘った。
「次郎様、某の部屋へ。亥之も」
「若!大事ございませぬか!」
「大事ない。済まぬが後で此方に菓子を届けさせてくれぬか。次郎様がお越しじゃ」
「ははっ」
「次郎様が、兄上を守ってくださるのですね」
嬉しそうに己を見上げる、亥之助の涙に濡れた頬を。そっと手拭いで拭ってやると。次郎はふんと鼻を鳴らして、己の胸を叩いてみせる。
「井伊の皆を助けるのが、竜宮小僧の勤めじゃからな。それに鶴は、我の友で。亥之助は友の大事な弟じゃし。我は亥之助が好きじゃし。まこと、こんな弟が居ってくれたらと…。!むぐっつ。鶴、にゃにほ。…甘い」
口に何かを押し込まれ、思わず鶴丸を睨み付けた次郎であったが。何かは口の中ですうと溶けていき。
「父上が駿府で買うてきた干菓子じゃ。甘かろ?」
「甘い。饅頭よりも。なれどすぐ無うなってしまう…。溶けずにしゃぶっておれたら良いのにの」
ならば俺との夫婦約束を、反故にしなければ良かったのじゃ。小野から幾らでも菓子を貢いでやったのに。亥之助もお前の弟となったのにと。まことは言うてやりたかったが。心底がっかりした様子で項垂れる次郎が不憫で。
鶴丸は次郎に座るよう促し。干菓子の箱を差し出した。
「竜宮小僧様、どうぞお納め下さい。我らがこうしておれるのも。竜宮小僧様のお働きあってのことにございますれば」
「…鶴。口の端が上がっておるぞ。其方我を揶揄うておるのじゃろ?」
「ばれたか」
「もうっ。左様なところがっ。いけ好かぬのじゃ!なれど、その。もう一つ貰うても良いか」
「一つと言わず、好きなだけ食らえば良い。我らはまた食せるのであるから」
そこへ砂糖羊羹と白湯が運ばれてきて。次郎は目を輝かせる。
「うわあ。羊羹ではないか!斯様に贅沢な物を、其方らは常から食らうておるのか」
「駿府の方々に好まれる物に慣れておけと、時折父が買うてくるのじゃが。大抵は母や妹達の腹に収まり。此方へは回ってこぬ。なれど、此度は次郎様が来られた故、我らもありつけたのじゃ」
「そうか…。母上も駿府育ちじゃから。砂糖羊羹が大の好物で。新野の伯父上がたまさか買うてこられると、それはそれは喜ばれて。なれど子にはよう無いと、いつも少ししか下されず。残りは父上と食べてしまわれて。
けちじゃなあと」
「お前の食い意地は、厳しい修行でも治らんのか」
「だって!ひもじいのじゃもの。いつも。いつも。竜宮小僧は辛いのじゃぞ」
「ならば此方もたんとお召し上がりください。竜宮小僧様が誰よりも励んでおられることを。私は存じておりますよ」
「ならば。ずっと。ずっと。見ておってくれぬか?我が可笑しなことをやっておるなら。諌めて欲しい。…怒鳴られたりするのは嫌じゃが。その。叱らねばならぬ時は、叱って欲しい。なれど、ようやったと思うた時は、褒めて欲しい。竜宮小僧は本来の行では無いから。和尚様も、昊天さんも、傑山さんも。滅多には褒めてくださらぬ。
村の皆は感謝してくれるが。それよりも飯をたらふく食わせてくれとは言えぬし。館へ顔を出せば、母上に追い返されるし。だから平気なふりをしておるしか。
なれど鶴は、幼い頃からの友じゃから。我は其方の前では、何も繕わずにおれるから。鶴。ずーっと。ずーっと。我を見ておってくれ。ずーっとじゃ…」
言い終わると同時に、瞼を閉じてころりと転がる幼馴染に。己の胴服をそっと掛けてやると。同じく菓子を食らうて眠くなった様子の、亥之助を乳母へ託して。鶴丸は次郎の背を優しく撫でてやる。
父上。鶴丸は今も、恨んでおりまする。彦次郎様のことが無ければ、おとわは井伊の惣領姫として。殿とお方様、ご一門の方々に慈しまれ。何不自由無く育ち。後数年で、亀との祝言と相成った筈。
俺はお前に。誰よりも幸せになって欲しいと。明るい陽の下で、笑うていて欲しいと思うておるのに。小野がそれを阻んだのだ。
おとわ。俺はお前の竜宮小僧となりたいと願うておるのに。小童に出来ることなど、たかが知れておる。
せめて俺が、お前よりも五つ六つ。いや、十か十五ほど上であらばー。
いや、そこまで離れておったら。俺はお前の友であることは、出来なかったのじゃな。
いつか。いつか、もし叶うなら。還俗して美しい絹の衣を纏うたお前に。碁を教えてやりたい。
武家の婚儀は調略であるが。何しろお前は開けっぴろげで、考えておることは皆顔に出てしまう有様で。嫁ぎ先でのことが、思いやられるからの。
おとわは阿呆で考えなしで猪で。なれど、誰よりも情け深くて。男の俺よりも豪胆で。死地でも活路を見出すような女子じゃ。
盤の上の戦で、日頃から鍛えておれば。いずれ碁がお前を助けることとなろう。
ああ、なれどまことは。お前が知らぬ誰かに嫁ぐのは嫌じゃ。知っておる誰かでも嫌じゃ。ずっとこのまま、誰よりも近しい友で。お前の側におりたい。叶うなら、ずっと。

それから十余年。次郎が僧籍のまま、虎松の後見となって暫くの頃。
「亀。高瀬様の他にも、子が居ったのじゃな。しかも井伊の縁者である証も渡しておるとは。和尚様も和尚様じゃ。松岡殿から仔細は聞いておった筈であるのに。まだ他にもおるやも知れぬ故、小野の者に今探らせておるからな。
…おとわには暫く伏せてやるが。虎松様が家督を継がれた暁には。流石に明かさねばなるまい。おとわとしの殿に、散々に詰られるやも知れぬが、己が招いたことじゃ。俺は知らぬ」
高瀬が現れても、動ずることが無かった南渓の様子に違和感を覚えた政次は。南渓の元を訪れ、他に何人居るのかと問い詰め。男子も授かっておることを聞き出したのであった。
庶子とはいえ、虎松様より年嵩の男子が居るのは厄介じゃ。虎松様に万一のことがあらば。松岡が後ろ盾となり、吉直様を推してくるやもー。
「政次。まさつぐ!」
しまった。聞かれたか?
政次は急ぎ立ち上がると、こほりと咳払いして。取り繕うように声の主に笑んだ。
「何を祈っておったのじゃ?」
「それは申し上げれられませぬ」
「何じゃ、勿体つけて。ならば其方も言うてくれぬか」
直虎はどすどすと井戸へ向かい。水面に向かって吠えた。
「スケコマシー!他にも子が居ったら、容赦せぬからなー!ほれ、其方も」
「某は。俺は。亀に何も言えぬ」
ああ、鶴は。政次はー。
鈍い直虎でも、流石に悟り。なれど気の利いた言葉をかけることも出来ず。ただ黙って政次の袖を引いた。
「嫁には貰うてやらぬぞ」
「二度も同じ戯言を言うな!阿呆」
「阿呆で結構。何か用があるから、俺に声をかけたのではないのか?」
「そうじゃった。あのな、政次。其方虎松に、碁を教えてくれぬか?」
「虎松様は、まだ五つ。些か早うございませぬか?それに某が教えるとなると、些か」
「其方が碁を教わったのも、五つであろ?」
「覚えておられたのですか」
「…あの時は、亥之助が可哀想じゃと思うたが。今は其方の言う通りであったと思う。武家の男は、いつ戦へ駆り出されるか分からぬし。生きて帰れるとも限らぬ。お陰で今の井伊には、虎松を鍛えてやれる男も碌におらぬ有様じゃ。我は五目並べしか出来ぬし。其方が良いのじゃ。和尚様は般若湯付きで良いならと言うておられるし」
相変わらず、狡いお方じゃ。嫡流で生き残った男は、ご自分だけであるのに。斯様なことからも逃げるのじゃなー。ならば。
政次は腹を決めた。
虎松と、虎松が家督を継ぐまで後見を務める直虎を。ならば己が鍛えると。
「ならばこの機会に。殿も碁を覚えられるのが宜しいかと」
「わ、我もか?」
「碁は盤の上の戦にございます。殿はこれから、戦わぬ為の戦をせねばならぬのです。某が鍛えて差し上げます。お覚悟を」
「分かった。宜しゅう頼む。早速今夜からじゃ。和尚様の庵を借りる故、寺まで来てくれぬか?」
「承知致しました。では後ほど」
「宜しゅう頼む。ではの」
パタパタと慌ただしく駆けていく直虎の背を見送り。政次はふっと笑みをこぼす。
まさか、斯様な形で。はるか昔の願いが叶うとはな。
俺がお教えするのは、未だ僧籍で。女だてらに袴を履く主であるが。
なれど俺は、楽しみでならぬ。
おとわが一体、どんな手を打ってくるのか。おとわはあれで飲み込みが早いのだ。馬など俺よりも早く、乗りこなしておったし。
今宵から暫く遅くなると、なつや家の者には言うておかねばならぬな。
おとわのことじゃ、負けたら毎度悔しがり。もう一度、もう一度と粘る筈であるから。
いかぬ。但馬、一体何を浮かれておるのだ。
我らは決して馴れ合おうてはならぬ。馴れ合おうては、いざと言う時におとわを守りきれぬ。故にこの想いも封じ込め、一切漏らしてはならぬ。
おとわには人を惹きつけ、取り込む才がある。なれどその質を疎ましく思う者もおるのだ。尼虎は大方様のお気に入りじゃからと。太守様はあからさまにお前を嫌うておられるしな。
故に、おとわをー殿を厳しゅう鍛えねばならぬ。太守様や大方様の前で、他の国衆の前で動じぬように。腹の内を上手く隠せるように。言葉で幾ら諭すより、容赦無く打ちまかしてやる方がおとわには効く。無様に負けぬよう、俺も一切手を抜けぬが。
はは、俺は阿呆じゃの。自ら面倒事を抱え込もうとしておるのじゃから。
なれど俺しか担えぬのであらば。その役目を果たすまで。俺は竜宮小僧の竜宮小僧であるからな。

ああ、今宵は月が明るい。庵の灯りでは、手元が暗いのではと案じておったが。これであらば。
いつか。いつか今川の傘を抜け。虎松様が家督を継がれた暁には。お前と酒でも酌み交わしながら、ゆるりと碁を打つことが叶うだろうか。
殿と家老ではのうて。気安い幼馴染の友として。
それまで俺の命が、永らえればの話であるが。
亀、済まぬな。今はお前には祈らぬ。俺にただ都合の良い夢であるから、この月へと願う。
今宵の如く、清か月の下で。打ち解けて語らいながら碁を打つ日が。いつかー。


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