「わたし」が竜宮小僧だったとき

【2024年11月8日】井伊谷の日に
あれからずっと、直虎を愛し続ける井戸の底の民の一人として。久々にお話を書きました。BS松竹東急さんの放送で、今回初めて直虎を履修しているご新規様も沢山おられるようなので。本作は本編5話の時間軸までのお話となりました。

いずれ領主編も絡めて加筆して、pixivにあげる予定です。
プライベッターその他、創作投稿サイトとXの連携が中々難しくなっており。
今回試験的にnoteを使ってみました。

【必ずお読み下さい】
本作は某作品の二次創作です。二次をご理解いただけない方は、ここで引き返して下さい。作中キャラクターの名と大まかな設定などは、ドラマから借りていますが。実在の人物、および演者の方とは何ら関わりがありません。
また筆者は政虎推しで、基本政虎の話しか書いておりません。こちらも許容出来ない方は、ここで引き返して下さい。

それでは以下本編です。

  ああ、もう少しで館に着くところであったのに。
 弟に気取られぬよう、小さく息を吐くと。俺は勤めて感じの良い笑顔を作り、辞儀をして道の縁へ寄り。頭を下げて一行が通り過ぎるのを待った。
「小野の小童!」
 なれどそんな俺の態度も、癪に障ったようで。一人の男が、俺を小突いてきた。
 咄嗟に弟を庇って覆い被さったが。一行は俺と弟を取り囲んで。嫌な言葉を投げつける。
「ほう。鬼の子でも、弟は庇うのじゃな」
「亥之助はまだ可愛げがあるが。此奴は和泉と瓜二つじゃの。さてさて、いつ角が生えてくるのやら。くわばらくわばら。!」
 ぽす。と目の前の男に何かが当たり。驚いて俺が顔を上げると。そこには。
「おと」
「おとわたま!」
 俺の下から這い出た弟が、一目散に駆け出して。仁王様のように顔を真っ赤にした女子に、きゃあと抱きついた。
「亥之助、大事無いか。よしよし、怖かったの。おい、お主らは何処の者じゃ!中野か?奥山か?」
 太刀を履いた男達に臆さず、亥之助を庇って立ちはだかり。吠える女子を。俺は尻餅をついたまま、ぼんやりと眺めた。
 頭が付いていかぬ。何故おとわ様が、俺と亥之助を庇う。我らは嫌われ者の小野の子であるのに。
「姫様。我らは中野の者にございます。なれど小童が無礼を働いた故。言うて聞かせねばと」
「鶴丸が道を譲ったにも関わらず。そなたらは絡んでおったではないか。我は目も耳もまことに良いと。常々父上から褒められておるのじゃが。はて」
「ご無礼仕りました。私が悪うございました」
 もっと早く謝ってしまえば良かったと。俺は心の中で舌打ちした。
 おとわ様。何故わざわざ首を突っ込まれた。貴方様は『可哀想な』小野の子を庇って、気持ちが良いのでしょう。
 なれど貴方様が此処で此奴らの咎を言い募れば。逆恨みした此奴らに、仕返しをされるやもしれぬのです。
 まして此奴らは、一門衆の中野の家人。当主の直由殿は、佐名様のことで小野を井伊の仇とまで言うておられるのですぞー。
「鶴丸、謝るな!」
 キッと俺を睨みつけて怒鳴ると。おとわは怯えた亥之助の頭をよしよしと撫でて。手を繋いで俺のところへと駆けてきて。俺を己の背で庇い、仁王立ちとなった。
「中野の者、良いか。鶴は今日から、我の友じゃ。故なく友を虐める者は、たとえ一門衆だろうと父上であろうと。我が許さぬ!」
「まこと、申し訳ございませぬ!では我らはこれにて」
 そそくさと立ち去る男達に、ふんっと鼻を鳴らした女子ーおとわ様は。まだ立てずにおる俺の前にしゃがみ込むと、サッと手を差し出してきた。
「鶴、大事ないか?立てるか?」
「姫様。それがしは鶴ではのうて。鶴丸にございます」
「はあ?」
 ああ、俺は何と気がきかぬことを。姫様の機嫌を損ねてしもうた。
 なれどおとわ様は、項垂れる俺の前にしゃがんで。顔を覗き込んできた。
「彦次郎叔父上のところの亀之丞は、亀。そなたは鶴丸じゃから、鶴。父上もそう呼んでおられるのじゃから、良いでは無いか。での、鶴。そなたは今日から、我の友じゃ」
「友?」
「うむ。父上がの。亀も我も一人子であるから。歳の近い鶴を友とするが良いと。言うて下されたのじゃ。寺で共に手習をして。手習を終えたら、共に遊ぶが良いと」
 俺が、一門衆の亀之丞様と。井伊の惣領姫のおとわ様の、友に?殿が俺をと?井伊の仇とまで言われる、小野の、俺を?
「鶴は、嫌か?女子が、友では」
「鶴はおとわ様の友となりまする。喜んで」
「まことか?まことに我で良いのか?うわあ、初めてじゃ!初めて我に友が出来た!鶴、宜しゅうの。城まで走るぞ!亥之助も!」
「え。おとわ様、お待ち下され!」
「おとわで良い。今日から友なのじゃから」
 小さな弟の手を引き、ゆっくりと歩きながら。俺は走り出した女子の背が段々と遠ざかってゆくのを、ただ見ておった。
 もしや俺は、とんでも無いことを安請け合いしてしもうたのではあるまいか。父上と母上が、話しておられたではないか。おとわ様の侍女や傅役が次々と辞めてしまう。遊び相手にと側に上がった、歳近い女子達も泣いて帰ると。
 今のたけは、まあ何とか務まっておるようであるが。金切り声を上げて、姫様を追いかけておるのが常であるし。
 まさか。小野の子なら断れぬと。見込まれたのか?
「姫様ー!姫様ー!」
 案の定、我らの横をたけが走り抜けていき。俺は思わず天を仰いだ。
 ああ。今日より後、俺はあの猪の友とならねばならぬのか。足腰を鍛えておかねばならぬな…。
 それからの日々は、まあ中々に大変であった。
 井伊のひとり子であるおとわ様を、殿も川名のご隠居様も、一門衆の方々も。それはそれは可愛がっておられるゆえ。
 おとわ様ーいやおとわはまこと、勝手気ままに振る舞うて。俺を日々振り回すのだ。
 男の子とばかり遊びたがり、隠れ鬼が大好きで。猿の如く身軽に木に登り。衣のまま川に飛び込み泳ぐ始末で。
 鬼の俺から逃れようと、滝壺に飛び込んだ時は。心底肝を冷やした。
 おとわに万一のことがあらば。俺は手打ちとなるやも知れぬし。父もただでは済まぬであろうと。
 なれどとうのおとわは、けろりとしておって。その後濡れ髪のまま、殿と野駆けに出掛けたと聞いて。俺は安堵したのだが。気が緩んだせいか、その晩は熱を出して寝ついてしもうた。
 くそっ。何もかも、おとわのせいじゃ。言い出したらきかぬし、軀の弱い亀を気遣わぬし。俺に何かと喰ってかかるし。我儘で、強情で。良いところなど、一つも無い。筈であるのに。
 俺はおとわを、厭うことなど出来ぬ。
 おとわは俺の、友となってくれたのだ。友と遊ぶ楽しさを、俺に教えてくれたのだ。
 小野の子に生まれた俺には、縁が無いと諦めておったものを。皆おとわがくれたのだ。
 伸び伸びと振る舞うおとわと共に過ごしておると。俺は忌み嫌われる和泉の子であることから。束の間逃れることが出来る。本気でおとわに腹を立て、呆れ。対等な友として怒り、それでも聞かぬ時は怒鳴り。腹の底から笑い。くたくたになるまで、共に遊ぶ。
 ずっとこのままで、居れたら良いのに。
 ああ。俺が竜宮小僧であらば。ずっとおとわの側で、おとわを助けてやれるのに。
 あと数年で、俺は元服し出仕せねばならぬし。おとわは裳着を迎えて、大人の女子となり。いずれは。
 どうか。どうか。少しでも長く。この日々が続きますように。どうかー。

 神も、仏も。俺の願いを、都合よく叶えてはくれぬのじゃな。
 父上、お恨みいたします。此度のことで、俺は友二人の仇に。
 父の目の黒いうちは、亀は井伊へと戻れぬ。おとわとの夫婦約束は、恐らくならぬであろう。
 はは。やはり俺も、鬼の子じゃの。
 亀が戻れぬことを、傷ましく思うておるのに。己が家のせいじゃと思うておるのに。おとわと亀が夫婦にならぬことを、心の何処かで喜んでおるのじゃ。
 おとわ。もう俺は、お前の友ではあれぬ。
 なれど、もしこの命が長らえるのであらば。お前が何処かへ嫁ぐまで。俺はお前の竜宮小僧となる。
 そなたが此処で、婿を取るのであらば。俺が盾となり、井伊の家を守り抜く。
 あれから調べたのだ。井伊に伝わる、竜宮小僧の話を。
 竜宮小僧は山の方から来て、民を手伝うてくれる者じゃと。
 何処から来たのかも告げず、名も名乗らず。懸命に働き。日が暮れると何処かへ帰って行くと。
 ある時小僧に馳走をしようと、村の者が誘うたところ。小僧は蓼汁だけは駄目だと言うたが。『誤って』蓼汁を出してしもうて、小僧は死んでしまったのじゃと。
 死ぬる間際に、小僧は死んだら己を此処へ埋めろと言い残し。村の者がその通りに葬ったところ。そこから水が湧き、川となったと。
 小僧は永遠の泉となり。今も井伊の田を、民を護っておるのだとー。
 おとわ。もし。もしも。お前と夫婦約束を交わしたのが俺であらば。お前は俺の為に家を出て。俺の為に髪を下ろしたのか。
 ああ。ああ。なれどもう。何を思うても詮無いことじゃな。俺の命は間も無く尽きるのであるから。
 弟や妹達を守る為。誰の恨みも買わぬよう、殊更に気をつけておったのに。父上。何故でございますか。それ程井伊の家が欲しかったのでございますか。
 どうせ死ぬるなら、井伊の山へと俺を埋めてくれれば良いが。さすれば俺は泉となり。永久にこの地を潤す者となろうー。

 殿が自ら、俺を。
 そしておとわ。お前は何という女子なのじゃ。今川から本領安堵をもぎ取り、無事戻ってくるとは。
 まだ、おとわの友でおれるのじゃな。俺は。
 ならばいずれ家督を継ぎ、井伊の家老となった暁には。お前が何もかも好きに出来るよう、力を尽くす。
 それまでは気安い友として。お前の側におろう。
 危ういことへ首を突っ込むお前を、時に諌め。叱る役目も引き受けよう。昊天様も傑山様も和尚様も。存外お前には甘いところがあるからの。
 お前が雨に濡れておるなら、俺が笠を貸す。泣いておるなら、手拭いを貸す。腹を空かせておるなら、饅頭をやる。難儀しておるなら、手伝うてやるし。智慧も貸す。怒っておるなら、気が済むまで俺にあたれ。
 お前が笑うておるなら、共に笑い。悲しんでおるなら、寄り添うておろう。
 なれどもう、俺の布団に潜り込むのはいかぬぞ。お前は庵を貰うた、大人の女子じゃ。左様な女子は気安く男と一つ布団で眠ってはならぬ。ましてお前は僧なのであるから。
 相変わらずお前は猪で、お人好しで。すぐ泣いて、すぐ怒って。よう笑うて。
なれど誰よりも、俺の心を救うてくれる。
 おとわ。お前だけだ。俺にこれ程情けをかけてくれる者は。幼き頃から、ずっと。
 ならぬ。この想いは封じねばならぬ。封じねば、壊れてしまう。殿から賜った、幼き頃からの絆が。俺のよすがが。
 父上。私は父上とは同じ道を辿りませぬ。亀之丞様が戻られた後も。おとわー次郎様を友として、お支えして参ります。
 流石小野は頼りになると、殿に、ご一門の方々にお認めいただき。井伊を守り抜いて見せまする。
 そしていつか。俺の命が尽きた時にはー。

「鶴、つーる。眉間に皺が寄っておるぞ。近頃根を詰めすぎておるのではないか?」
「次郎様。但馬にございます」
「我は俗世から離れた、僧であるからの。いちいち左様なことは気にしておらぬ」
「ならば俺もおとわと呼ぶが、良いか?」
「それは駄目じゃ!我は次郎法師なのじゃから」
 ぷうとむくれておる顔は、幼き頃のおとわのままで。何やらおかしゅうなった俺は、声をあげて笑うてしもうて。
 そしたらおとわー次郎様は、ぽかぽかと胸を叩くものじゃから。慌てて止めて。
「次郎様。せっかくの土産が、潰れてしまいまするぞ。ほら」
「もう、何故早う出してくれぬのじゃ。ふふ、まだ温いの」
「蒸したてを買うてきたからの。冷めぬうちに食え」
 差し出した饅頭を、次郎様はまこと嬉しそうに受け取って。半分に割ると、俺に差し出してきた。
「如何した?あまり腹が減っておらぬのか?」
「鶴も喰え。手が冷えておる。温いものを喰らえば、軀が温まる。それに」
 次郎様はぽすと俺の傍に腰を下ろすと、すっと軀を寄せてきた。俺の気も知らずに。
「こうして分け合うて喰らうのが。我は嬉しいのじゃ。寺の皆と、左様なことは出来ぬから」
「饅頭はもう一つあるのだが」
「もう、何故早う言わぬ!まあ良い。そちらも半分こじゃ。鶴と」
 嬉しそうに饅頭を頬張る次郎様ーおとわが愛らしくて。こうして二人で過ごせる時が、少しでも長く続くよう。俺は心の中で祈る。
 神も仏も、俺の願いなど聞き届けてはくれぬことを。嫌と言うほど知っておるのに。そうせずにはおれなかったのだ。
 この女子を守る為であらば。俺はどんなことでもしてやる。もし叶うなら死した後でも、守ってやりたいと思う。
 あれから十余年を経ても、この想いは変わらぬ。
 あの日、俺は恋をしたのだ。この女子に。
 大きな瞳で、俺をじいっと見つめて。ぱあっと花が咲くように笑うた女子に。伸び伸びと振る舞うて、後に俺を散々に振り回すこととなる女子に。
 粗末な墨染の衣を纏うておるのに。おとわより美しい女子を。俺は他に知らぬ。おとわより愛らしい女子も、他に知らぬ。
 駿府にはおとわよりも顔立ちの整った女子はおるが。おとわは誰とも違うておるのだ。命の煌めきが。
 俺はきっと、この女子に生涯心奪われるのであろう。想いが届くことなど、決して無いと分かっておるのに。
「鶴。冷めてしまうぞ!」
「ああ済まぬ。ぼんやりしておったな。…やはり蒸したては美味いな」
「うむ。蒸したては格別じゃ。鶴と一緒も格別じゃ」
「格別、なのか?俺と喰らうのが?」
「だって。今では鶴だけじゃもの。鶴。これからもずっとじゃ。ずっと、我と」
「分けられぬものもあるのじゃが。どうすれば良いかのう」
「もうっ。鶴はまっこと、いけ好かぬ。阿呆っ」
「筆頭家老に阿呆と言う女子は、そなたぐらいじゃの」
「友じゃ。鶴はずーっと、ずーっと。我の友じゃ!爺と婆になっても」
 はは。それは良いな。
 ならば俺は爺になったら、出家して僧となろう。
 僧となり、竜宮小僧の行に励み。お前の竜宮小僧ともなろう。お前が何処におっても。
 どの神に、仏に。祈れば叶うのであろうか。この願いが。
 竜宮小僧に願えば叶うのか。ならばいつか、久留女木に出向いて。竜宮小僧の泉に詣でねばならぬのー。
 どうか。どうか。我らの絆が切れることがありませぬよう。どうかー。


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