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男女の間に友情は成立するかという命題について(映画「あのこは貴族」)
少し前にXで話題になっていた「男女の間に友情は成立するのか」という命題を、去年鑑賞した映画「あのこは貴族」とリンクさせて考えています。
そもそもこの命題自体が、かなりシスジェンダー/ヘテロセクシャルの世界だけを意識して立てられているもので、個人的にはあまり気に入らないのですが、話を単純化するためにそのままにしておきます。
(ちなみに、ゲイの友人が言っていたことで、「ゲイコミュニティの中では、友情の対象と恋愛の対象の両方が存在している可能性があり、それを区別する必要があるときに、「あいつはイケる」(自分にとっては友情の対象ではなく恋愛の対象という意味)などと言う」と言っていて、とても興味深いと思いました。)
年を重ねるにつれ、名前のつかない人間関係が増えてくるような気がしています。
30歳ぐらいまでは、「家族/親戚」「恋愛対象」「友人」「知り合い」、この4つぐらいしかカテゴリーがなかったと思う。
でも今は、「元恋愛対象だった、今は大事な友人」「一度しか会ったことないけど、とても信頼してる人」「取引先の人で、飲み友達」「SNSで知り合って一度も会ったことないけど、会ったら絶対仲良くなれる人」「友達の友達の友達で、何してるかよくわからない人」などがいます。
名前のつかない、のではなく、複数の名前がつく、と言った方が適切か。
映画「あのこは貴族」に登場する幸一郎と美紀は、いわゆる「セフレ」です。
元は大学の同級生ですが、付き合うわけでもなく結婚するわけでもなく、だらだらと身体の関係だけが続く間柄です。
幸一郎が結婚することになったと聞き、美紀は、そのことには触れず、幸一郎へ関係の終了を告げます。
そして別れ際、「あなた(幸一郎)は、ここ数年でいちばん大事な友達だった」と言います。
いわゆる「上流階級」に属する幸一郎は、美紀の前だけでは、ぐでんぐでんに酔っぱらって本音を言えていました。
美紀も、美紀だけが恋愛感情を寄せていたというようなこともなく、フラットに「この関係」を受け入れていたように見えます。
セックスというものが介在してしまったので、周囲からみればあまりに不適切な関係ですが、そこには確実に「友情」があったように思えました。
わたしにはこの手の間柄の友人はいませんが、このような関係があり得ることにはすごく納得感があります。
人間として好ましく思っていて、たまたま男女だったからセックスしてしまったけど、お互いを大事に思う手段は他でもよかった。
実子のように飯を与えて服を与え慈しんでもいいし、祖母のように動かない身体を清拭してもいいし、ただお互いを「親友」だと紹介してもよかった。
この大切な関係に、単に「恋人」などという平坦な名前をつけてしまったら、関係の終了が予定されているようで、もったいなすぎる。
ましてや、「セフレ」なんて情緒のない呼び方で、自分たちの関係の何がわかる?
男女の間に、いや、恋愛関係が生じうる間柄に、友情が生まれることは、じゅうぶんあると思います。
そしてその関係の名前が付けづらく、あるいは複数の形容がつけばつくほど、自分のこころの中にその人のためのスペースがとってあるんだなと思っています。