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文才のないライターが生き残る方法

職業を聞かれ、「ライターをしています」と答えると、「文章が上手なんですね!」だとか「文才があるのね!」と言っていただくことが、恐れ多くもよくある。あなたにも、そんな経験はありませんか?

仕事にしてかれこれ8年、途切れずにお仕事をいただけていることを考えれば、「いえ、上手なんてものでは・・・」なんて、依頼してくださる方に失礼すぎるのでとても言えないけど、他のライターさんはどんな風に答えているんでしょうか。

ライターとして活躍される方の中には、唸るほど優れた文章を書く人はごまんといいらっしゃるので、周りを見渡しては”彼等のような文章を書かねば・・・”と妙な焦りを感じたことも数えきれない。

結局のところ、この8年の間に一度も自分に文才があると思ったことなんてなかった。ただ、文章が苦手だと思っている人よりは多少スムーズに書けるようになったかもしれないけど、それは文才とは全く異なるもの。
だから自分がこうして生存し続けていることを改めて考えると、ライターという仕事を続ける上では、才筆かどうかはあまり関係がないんじゃないかと思うようになった。(無関係とまでは言わない)

ライターとして生存し続けるには何が必要なのか。

最も大切なのは、コミュニケーション力だと思っている。

それを言ったらおしまいでは?と思われそうだけど、結局のところ人は雰囲気で物事を決める。仕事のオファーの段階であれば、メールの文面から読み取れるものや身なり、顔つき、話し方などであらかた決まってしまっているということ。

だって、いくら過去に優れた賞をもらっていても、良文を書いていても、自分の依頼した仕事を満足に仕上げてくれる保証はどこにもないし、こればっかりは実際に仕事を依頼してみないことにはわからないから。

継続的に案件を発注してもらえる関係でも、仕事の能力以上にコミュニケーションの良し悪しが占める割合は大きいと思う。

もちろん、仕事のクオリティがどうしても満たされない場合はそこで終わってしまうこともあると思う。ただ、そこで関係性がうまくいっていれば、「仕方がないなあ」と言って面倒を見てもらえることはある。
それだけ、”合う”人を見つけることは難しい。
(表現は好ましくないけども、ライターとして生き残りたければ依頼主から依存される状態を作るのがいいと思う。)

能力は、実務を通してアップデートしていくことができる。
経験がなくても、仕事が自分を育ててくれる。
でも人との向き合い方が雑な人には、そのチャンスすらやってこない。

ライターは通訳者。
依頼主が伝えたいことを正確に適切な言葉で表現し、伝えたい相手に届けるのが仕事。まず依頼主のことを知らなければ、いい文章など書けるわけがない。
だからやっぱり、コミュニケーションは大事。





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