
愛知の部活文化に思うこと
登録だけしてなんのノートも作らずにいたのに、うっかり6ヶ月経過のバッジを獲得してしまったので、もう、えいやと1個目の記事を書いてみる。
うちの子どもたちはまだちびっ子なので、まだ自分ごとになってないけど…先日、友人と話していて、愛知の部活文化の特殊性の話になった。
小学校4年生から部活がはじまるとか、部活には必ず所属しないといけないとか、部活は授業が終わってからで、クラブは授業の一部として、同時に存在しているなど、他県では普通ではないらしいねーという感じで。
「でも今週3回しかしちゃいけないとか、土日はどちらか必ず休み、みたいになってるらしいよ」と友人。彼女もまだ小学生の子どもはいないので、又聞きのうろ覚えだとは思う。
ただその一言を聞いて、「ていうか、解決策ってそこなのか?」と、ものすごくテンションが下がった。もちろん、学校に対して。
私は運動が好きではないが、部活という概念は好きだ。というか、うまく回れば、すごく良いものだと思っている。
基本勉強をするためにある学校で、要は課外活動なんだけど、部活をするということは、好きなことを選んで、同志を募って集団を作り、団体で何かを成し遂げるために力を注ぐ経験ができるってことだ。
高校とかだったら、自分の好きな部活を作るという体験をしたことのある人もいるかもしれない。なぜそれが小・中学校で適用されないのか?
だいたい課外の時間の過ごし方を学校や先生が決めるなんてどうかしている。それは先生たちの仕事じゃないし、どう使うかは子どもたちが自分で考えるべきだ。何をしたいかを自分で考えて、そこに人やお金がいるなら、それをどうやって集めるのかまで考えるべきだ。
そういう経験は早いうちにした方がいい。社会人になるまでに、たくさんの試行錯誤ができた方が、仕事の選び方も楽しみ方も変わる。学生の時にこの経験が圧倒的に少ないと、社会に出てから試行錯誤することになり、迷走しがちだ。
児童期から好きなことに試行錯誤して熱中できたら、好きなことを仕事にできる大人が多くなるんじゃないかと思う。これからの社会ではクリエイティブな仕事しか残らなくなっていくだろうから、それにも上手く順応できるだろう。
まあいきなり「今日から授業後は自由だ!」ってなっても、先生も子どもも途方に暮れてしまいそうだから、そういう自由な活動の大枠を部活にすれば良いと思う。部活は自分が好きなことをするための活動でいい。もちろん部活をする・しないの自由もあるべきだし。
それから先生たちにも課外時間の自由はあるべきだし、顧問を断る権利もあることを子どもたちも理解した方がいい。そもそも顧問がいらないとか、いつもいる必要のない部活もあるだろうから、そういうことも含め、組織のあり方を子どもとも対等に話し合う機会になるだろう。
子どもには子どもの世界があるので、組織づくりは大人のようにいかないだろうが、それは組織を作ることができないとか、ルールを作ることができない、ということではない。子どもには子どもの言葉と関係性があることを忘れなければ、組織もルールもきちんとできる。それを信じて付き合ってくれる先生が増えてくれると、こんな部活も上手く回るだろう。
そんなことを考えて話していたら、テンションが上がってきて、またやりたいことが増えた。子どもたちの可能性について考えることほど、エキサイティングなことはないな、と。
生まれ育った土地で子育てするというのは、不思議なもので、子どもの自分を大人になってやり直しているところがある。自分が子どもの時に不満だったことを思い出して、大人の今なら変えられるかもと奔走する。
うちの子どもたちがその年齢に達するまでに、私には何ができるかなと改めて感じた1日であった。