アンドレイ・タルコフスキー『アンドレイ・ルブリョフ』
タルコフスキーは、授業で『ローラーとヴァイオリン』を観て以来お気に入りの映画監督。
全体としては争いや異端の追放などを扱うストーリーのメッセージ性が強い。私がタルコフスキーが好きな理由である、芸術作品や象徴的モチーフなどを効果的に使った状況描写や、現実世界からいきなりトリップする水や鏡が際立つ非現実的世界の描写は、ストーリーと比較すると弱く見える。強いてタルコフスキー作品をグルーピングするならば、社会的メッセージ性の強い『僕の村は戦場だった』などと同じグループに入れたくなる。
その点では抽象性の高い『鏡』や『ローラーとヴァイオリン』などの方が好きだ。しかし『僕の村は戦場だった』がずっしりと記憶に残っているのと同様に、『アンドレイ・ルブリョフ』も強い作品だなぁと思う。
特に印象に残っているのは、気球に乗って空を飛ぶプロローグ、道化師、鳴る直前の鐘、ルブリョフが久々に口を開いた瞬間。
まずプロローグだが、いきなり謎の塊が画面にうつしだされ、窓越しの風景や角の向こうの出来事に注目させつつ人が移動し、何が起きているのかよくわからないうちに気球が飛び、眼下に広がる川が次第に近づいてゆき、ひっくり返る馬の映像に切り替わる。抽象的で他の意味を探ってしまう「気球に乗って空を飛び落ちる」様子の描写の仕方だと感じた。
道化師を見ていると『リゴレット』が思い出された。そのため、半ば『リゴレット』と混同するかたちで、この道化師に対する否定性や道化師の劣等感を強く読み取ってしまった。よくも悪くも注意が集中する「異端」につい興味を持ってしまう私としては気になる人物。
鳴る直前の鐘は、モノクロームの抽象画のような映像が印象的だった。舌がこちらに向かってくる点も臨場感がある。
そして、鐘が無事完成して泣きながら父の「秘密」の嘘を告白するボリースカに対して、励ましながら再度絵を描くことを告げるルブリョフのことばは、どこかストーリーの一セリフというよりも人生訓のように聞こえてくる。沈黙の行をついに終えるこの瞬間からは、憑き物が落ちたようなすっきりとした清々しさも感じた。
蛇足だが、久々にLDを使って見た。A面からB面に勝手に切り替わったり、Disc2に入れ替えるタイミングがわからず手こずったり、争いのシーンの画像がやけに悪かったり……。普段は記録メディアを意識することはないのでおもしろかった。