リヒャルト・シュトラウス《ばらの騎士》
オペラ、R・シュトラウスの《ばらの騎士》。最近はイタリアのオペラをよく観ていたから、ドイツオペラは新鮮。
若い男性と女性が結ばれる話、と片付けてしまうこともできるのかもしれない。しかし、そういった若さや甘さ、華やかさよりも、老いや闇を強く感じる作品だった。
闇と言っても、感傷的に気分が沈みこむわけではない。ところどころに笑いが混じっている。それがより闇を強調しているとも言えるかもしれない。
例えば、自信過剰なオックス男爵や人にどう見られるかばかり気にするファニナルからは、アイロニカルでシュールな闇を感じる。仮面をつけてオックス男爵をからかう人々も、滑稽さと同時に「表の世界」ではない「裏の世界」を表しているように観え(聴こえ)た。田舎娘もといオクタヴィアンが突然人間の儚さを歌い出す場面も、「芋っぽい」歌い方に笑えてしまうが、歌詞自体は笑えるものではない。
この「感じ」、どこかで経験したことがある。そう思って振り返ってみると、それはウィーンだということに気づいた。華と闇の入り混じったウィーン。
そもそもこの作品の舞台はウィーンだし、ウィンナ・ワルツが多用されていることから当たり前と言えばそうだ。しかし、もっと抽象的な「感じ」「雰囲気」「空気」がウィーン。
「感じ」や「空気」と呼ばれるものは、どうやって醸しだされるのだろうか。いろいろとことばで表す方法を考えてみたが、どれもしっくりこない。話が飛躍するが、私がアートや芸術と呼ばれるものに理論的な関心があるのも、この「感じ」をいかに捕まえるかになぜか拘ってしまうからだろう。