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人に教えるということ 指導者のつぶやき

私は長く競泳の指導に携わってきた。
それは自分にとって天職に思えたものだった。

指導者と言うのは当たり前だけれど
大きな影響を人に及ぼすものだ。

そもそも、たまたま教える内容が競泳だっただけで
私にとっては“人に自分の知ることを教える”と言う行為が
趣味であり特技だったのだと思う。

子供の頃から「教え魔」と呼ばれたり
家庭教師や宗教の教育者…などもやったことがある
一週間のスケジュールが家庭教師の仕事で埋まってしまい1日で3件のお宅へ
行くこともあった…
誰に何を教えるのか?管理するのが大変だったと言うのは
良い思い出でもある。
宗教の教育者!?
正直、今も昔も信仰しているわけではないが
そんなものもコツを掴めばできてしまうものだ。

とにかく教える技術を磨くことに余念がなく毎日
時間を惜しまず工夫したものだ。
今振り返れば
自分で言うのもなんだがよくやったと思う。

さて、人に教えるとは?
この時点で「教育者」のスタイルと
「コーチ」のスタイルの二つが存在する
というのを理解しておかなくてはならない

結論から言うと
双方を適宜融合させていくのが良い指導者には不可欠であるようだ。

よく「名選手が名監督になる訳ではない」と言われるが
私の見解としては
名選手だった指導者は、とかく教育者のスタイルが優位になりがちで
コーチのスタイルが弱いように思う。

しかし、コーチのスタイルが正解という訳ではない
コーチングスキルを学んでいくにつれ
当然私の見解だが、コーチングという考え方はまだまだ未熟で
穴だらけの指導法に思えた。

ここでこの両者のスタイルの違いを
私なりに簡単に説明しておくことにする。

教育者スタイル
大前提として「教わる側に指導者が答えを教える」のが
教育者である。
故に、教育者の知識や経験を伝えるという作業が「教える」となる。
教育者は尊大になりやすく指導歴半世紀を超える大先輩が
「なんで私が教えているのにわからないのよ!」と怒っている姿を
見たこともある。
まあ、大変な実績があるので周囲はぐうの音も出ないのだが…

コーチスタイル
こちらは大前提として、「教わる側は答えを持っている」という考え方を
持たなくてはならない
指導者は、「教える」と言っても
教わる側が、自ら答えに行き着けるように補助するのが役割なので
考えるように促すことが「教える」となる。
同僚のコーチには実は25mすら泳げない…というより
クロールの息継ぎができない…のに
割に教え子たちはなかなかの実力を誇るなんていう奴もいた。
「僕泳げないのになんでみんなあんなに上手なんだろう…」と
よくぼやきながら先輩に扱かれているのを見かけたものだ。

教育者は、ゼロ経験ゼロ知識の人に一から教える時こそ最大の見せ場である。
良い教育者のスキルは
ゼロ経験ゼロ知識の人にいかにドラマチックにその人にわかりやすいやり方で
伝えることができるかどうか?
である。
残念ながら殆どの場合
自分の経験や学びを通して知っていることを
自分の一番便利な言い回しでツラツラと述べているなんて方法で
教育者っぽいことをしている人が多いようだ

コーチスタイルは、
教わる側が自ら答えに至るというスタイルを取るので
学びと同時に感動があり自信を付与できるメリットがある。
しかしながらゼロ経験ゼロ知識の人を誘導するのは
かなり難易度が高い…
できなくはないが、
思ってもいない答えに勝手に行き着くこともあるし
相手になかなか伝わらず
語彙の足りない人、狭量な人にはなかなかしんどいスキルとなる
また教わる側も、考えることに慣れず
「そんなん良いから答えだけ教えてくれ」という人も
結構いるので、誘導に時間がかかって
「話が長い」と言われて評価を落とすだけになることもある。

相手のニーズに応えなくてはならないし、場合によっては「期限」が存在する
(受験、結婚式前のダイエット、大事な試合など)
ので、教えるというのは
自分でやるより難しいことが多くストレスも多いが
その分、面白い
難易度の高いものこそ
達成感も大きいのは周知の真理である。

ツラツラとテーマに沿って書き殴ってみたが
指導の極意や注意したいこと世間の評価と実態など
第一線から離れた今だからこそ
客観的に見て考えて書けそうに思う。

今後のテーマにその辺を加えて書いていきたい

もし、指導について悩みや疑問質問などございましたら
一緒に考えたいと思いますので是非、コメントくださいね




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