いかなくては ②
「いかなくては」
という声には
怠けてはダメとか
決めた事をしなくてはとか
そうした音色はありませんでした
Calling
そういう感じです。
この言葉は
強い衝動とか
突き動かされるように、とか
そんな風に置き換えられているのをよくみかけますが、
日本語には適切な言葉がないように思います。
それは私にとっては
そうすることがとても自然
そんな感じでした
これを読んだ人は誤解するかもしれないけど、その特別な声に私は導かれた、というのではありませんでした。また、そんな声がしょっちゅう頭にあったわけでもなかった。ヨガの世界ではそんな言説があふれてて、多分、そうしたことがヨガ「らしく」聞こえるのかもしれないですが、私の場合はそうではなかった。
偶然の出来事や、不思議だなと思う事、それらは「そのまま」で十分に思います。私は、特別な意味づけをすることをあまりしません。それは、それらが世界と継ぎ目なく調和していて、そのままで私には美しくみえるからです。どんな声が頭に浮かんだにしろ、その時々において自分で判断し、取捨選択を重ねてきたと思います。
人生におけるどのプロセスもそれほど明確ではなかったし、スイッチを切って入れるような、そんなに簡単なものでもありませんでした。そして、きっと、それは誰の人生においても、そうしたものではないだろうと思います。
その時の私と
その時私が励んでいたものと
その時私が大切に思っていた人とものと。
それらに対して、でこぼこでも誠実な選択をしたいと思って手探りしていたし、それはきっと、今もそうだと思います。
多くの人と同じように、内にたくさんのものを抱えていました。
苦悩 痛み 躊躇 恐れ 悲しみ 熱心さ 興奮 後悔
喜び 自負 恥ずかしさ 迷い 抵抗 穏やかさ 寂しさ 怒り
ヨガを通じて、それらがより一層よく見えるようになりましたが、何もかもが美しく良いもので満たされることはありませし、相変わらず、いろいろなものがそこにいつもあります。
いろいろなものが混在する私。
そうした自分を愛おしいと思うことができるようになった。
それが、多分ヨガがもたらしてくれた一番大きな恩恵なんじゃないだろうかと思います。
小さくてもろく不安定でありながら
同時に
広大な広がりと深さをもつ。
人はなんと魅力的なのだろうと思います。
Love & Light
(続く)