事あるごとに家族写真をちゃんと撮る
二番目の兄が32歳の若さで突然亡くなった後、いつも無口で自分の願望をほとんど口にしない仙人のような父が、誰に言うでもなく「家族の写真をもっと撮っときゃえかった」と言った。ぽつりと口から出た言葉を、たまたまそばにいた私が耳にした─そんな感じの独り言。だからこそ心からの願望なんだろうと思った。そんな父も数年前に他界した。
だから、というわけではないが、家族写真っていいものだなぁと最近改めて思う。旅先でのスナップショットではなく、しっかりお膳立てして「ちゃんと撮る家族写真」だ。
夫が写真家なのでふだんの写真は夫が撮ってくれる。が、家族全員が写るとなると、夫が自らシャッターチャンスを狙うわけにはいかない。三脚を立て、「みんなレンズを見ててよ〜動かないでよ〜目をつぶらないでよ〜」ということになる。
息子がすごーく小さかった頃はそんなリクエストをしても意味がないので、ふとしたはずみでレンズを見てくれるのを待っていた。
「ほら、トッキー、あっちに妖精しゃんがいるよ?」(=「え?どこ?」と妖精を探してキョロキョロする)とか、
「ほら、あっちにおばけがいるから見て!」(=「やだ、見たくない!」とむしろそっぽを向く)とか。
そのときは「早くいい1枚が撮りたいのに〜」ともどかしく感じた部分もあったような気がするけど、今思い起こせば、楽しい思い出しかない。
これ↓は、息子が1歳のときのハロウィン写真。ハロウィンは毎年家族で仮装をし、ご近所のみなさんにお願いしてTrick or Treatをさせてもらっている。ついでにみんなで写真も撮っているんだけど、なにしろ1歳だから、「レンズ見てて〜」は通用しない。もちろんカメラのほうには誰もいない。でも、息子はなぜかレンズを見ながらご覧の笑顔。
笑顔というより、なんなら大笑い。歯のない口できゃはは♪と笑っている。なぜなのかはさっぱりわからないけれど、家族写真はたまに奇跡を呼ぶ。
生前の父が「家族写真を撮っておけばよかった」と言った心裏は、写真を手元に置いておきたいという物理的なものだけじゃなく、こんな風に「みんなで撮ったときの思い出」をもっと作ればよかったな、ということなんだろうと今は思う。
ずっと3人家族だったが、昨年、家族がひとり増えた。ちょうど息子が中学に入学したので、記念に写真を撮った。4人で撮る初めての家族写真だ。
息子は「レンズを見てて〜」が当たり前の年齢になったけれど、ムスメはワケがわからない。抱かれたらそのまんま、ふにゃ〜っとやわらかい体をあずけている。
目線は・・・うつろ(笑)。
でも、そんなムスメにもやはり「家族写真の奇跡」が起こった。
それは、今年のクリスマス。1歳10ヵ月になったムスメは、被り物も椅子に座ることも得意だけれど、誰もいないカメラのほうに目線を固定するのはやはり難しい。三脚に大好きなおやつをぶらさげてみたり、「あっちだよ、あっち」と指さしてみたり、いろいろ試してみたけどなかなかうまくいかない。「もう、この子の目線はナシにするか?」とあきらめかけていたときの一枚がこちら。
しっかりと、カメラ目線を送っている。
家族写真の奇跡だ。
でもじつは、一番大変だったのは、この一枚。
大好きなパパがこっちにいるのに、向こうを向いておすわりをさせ、「待て」をキープ。さらに、背中のトナカイがしっかり写るように顔だけこちらを向かせるという、見返り美人ポーズ。角度がちょっとずれてトナカイが半分見切れてしまったり、顔だけのつもりが体ごとパパに近寄ってしまったり、それこそ家族総出でこの一枚のために一丸となって協力した。
ここにはムスメしか写っていないけれど、このかわいい写真を見るとき、私はきっと、シャッターチャンスを狙いながら動き回り、指示を出していた夫のこと、その指示を聞きながらほしいポーズを引き出すべくあれやこれや動き回った私と息子のことも思い出すだろう。
そういう意味で、この一枚もまた貴重な家族写真だ。
今度実家に帰ったら、田舎でひとり暮らしをする母にこの写真を見せながら、思い出を語ろうと思う。
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