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水羊羹に水大福。「水」とともに夏来たり。

浅草の老舗「西むら」の和菓子を詠んだ一句。

黒文字のふれたる先のみずみずし 夏の訪れ 水と味わう
【黒文字でふれただけでみずみずしさを感じ、夏の訪れを「水」と一緒に味わったのです】

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夏休みの中二息子と浅草に行った。息子のお目当て、「三鳩堂」の人形焼きと雷おこしを買った後、和菓子づいた私たちは「どら焼きも買いに行こう」となった。

浅草のどら焼きというと「亀十」が人気だ。どら焼きというよりパンケーキ的。ふわっと軽やかで香りのいい生地が特徴で、個人的には白あんが好みだ。いつ行っても行列の絶えない店なのだが、真の和菓子通なら亀十のお隣の「西むら」こそはずせない。

私はもともとあんこがさほど得意でないので(最近「おいしいあんこはおいしい」と開眼したが)、あんこ評価は生来の和菓子好きである息子に任せるべきだろう。彼いわく「西むらのほうが好き」。同じくあんこ狂の友人も「西むら一択」だというから、きっと間違いない。

西むらは亀十ほど混んでいない。店構えはいかにも老舗然と落ち着きがあり、若い店主がおだやかに接客してくれる。雰囲気がいい。以前買った栗むし羊羹もとてもおいしかった。

さて、真夏の西むら。
どら焼きを買うつもりだったが、店頭で惹かれたのは別のものだった。

息子は水羊羹が食べたいという。私は青々とした笹の葉に包まれて真っ白いお肌をのぞかせている、見るからにすずやかな水大福を選んだ。「どっちも水がつくんだね」と息子。水羊羹と水大福。いかにも夏の象徴だ。

初めて口にした西むらの水大福は、想像以上にしっとりみずみずしい絶品だった。外側はつるつる食感のやわらかいおもち、中のこしあんはきめ細かくて甘味がほどよく、とにかく上品。和菓子って上生菓子にしてもどら焼きにしてもお茶が欠かせないものだけれど、水大福は仮に飲み物がなくてもつるんとのどを通るのだ。

水のお菓子とともに感じる夏。夏の間にもう一度食べてみたいと思った。

余談だが、冒頭に書いた三鳩堂もおすすめだ。

もともと息子が「浅草で人形焼きを買いたい」と言い出したきっかけは、先月学校で「江戸的な場所へ行く」という校外学習があったこと。班ごとに「チェックポイントの浅草+どこか好きな街」を散策して江戸を感じよ、というやたら楽しそうな内容で、息子たちは柴又を選び、矢切の渡しに乗ったり和菓子をあれこれ食べたりしたという。

満喫して帰宅した息子のただひとつの心残りが「浅草で人形焼きを買おうと思ったんだけど、浅草はまだランチの前だったし、お金が足りるかわからないからあきらめた」ということ。

で、この日は浅草で用事があったので、せっかくだからと仲見世にも寄り、人形焼きを探していた。ら、三鳩堂の店主が「味見していきなよ〜」とたまたま声をかけてくれ、そのおいしさを知ることができたのだ。三鳩堂のは本当においしくて、「あれ、人形焼きってこんなにおいしかったっけ?」とびっくりした(おいしくないのも多いから・・・)。

ちなみに雷おこし(こちらのは南京ねじという商品で、製造元は駒形の中山製菓らしい)も試食させてもらったら、甘味の部分が見事にキャラメリゼされていて、かりかりっとおいしかった。雷おこしを買う予定はなかったが、思わず買ってしまったのだった。

西むらと三鳩堂。浅草に行く楽しみが増えた。

「水」のお菓子の魅力。水羊羹と羊羹の違いとは?

私は羊羹より外郎が好きだ。・・・と自認していたが、外郎にも羊羹にもいろいろある。たとえば同じ「外郎」でも山口県のと愛知県のものとではまるで違うのをご存知だろうか。愛知のういろうは米粉、山口の外郎はわらび粉でできていて、見た目も食感も食後の感想も「これらを同じ名称でくくってよいものだろうか」と思うほど。ちなみに私は俄然、山口の外郎が好きだ。

羊羹より外郎のほうが好きと言い切る真意は「羊羹より山口の外郎」なのだが、水羊羹が相手ならちょっといい勝負になる。普通の練り羊羹は小豆あんを煮込み寒天で固めて作るが、その寒天量を減らして、水分量を増やしたものが水羊羹らしい。羊羹はどっしりとあんこの味わいが楽しめるからいいのだ、、というのはわかる。でも個人的には水を多めに含んだ水羊羹のほうがおいしい。

ちなみに、和食屋に行くと、しめのデザートの代わりに「水菓子」とメニューに書かれていることがある。これは水を多く含んだみずみずしい和菓子ではなく、果物のことだ。水羊羹や水大福を「水菓子」と書いてあるものも散見するけれど、これは誤用。そして、果物を「水菓子」というのはどうやら江戸の風習で、上方では「くだもの」といったらしい。

古くは、「くだもの」と「菓子」は、ともに「正式な食事以外の軽い食べ物」全般を指すことができることばでした。つまり、果実類・菓子類・間食や、はては酒のつまみなどのことをひっくるめて「くだもの・菓子」と呼ぶことができたようです。2つのことばの違いは、「和語(やまとことば)」か「漢語(漢字書き・音読みのことば)」か、という程度のもので、あまり意味の違いはなかったものと思われます。
これが江戸時代ごろになると、「菓子」ということばが「人が手を加えて甘く作った食べ物」のことだけを限定的に指すように変化しはじめます。いっぽう果実類を指す場合には、上方では「くだもの」、江戸では「水菓子」ということばが使われるようになったようです。

NHK放送文化研究所




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