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家族のために…父のケガと覚悟

私が20代半ば、深夜に父が突然体調を崩した。「胸が苦しい」というので車で救急病院へ向かった。心筋梗塞だった。すぐに治療が行われ、幸い血管の詰まりをとる治療後、おかげさまで元気に退院することができた。

それから父は変わっていった。

1 毎晩駅まで⇆歩く
2 油を控える
4 野菜を食べる
↑戦時中芋やかぼちゃしか食べなかったせいで大嫌いになっていた
3 早寝早起き

体に優しくなった。

そして一番の変化は、仕事を変えたこと。
〇〇ハウスという一般企業に就職した。
母が父の体を心配してなるべく体に負担が少ない事務作業の仕事を探していたのだ。
それに素直に従い、就職した。

しかし、やはり心配していた事が起きた。
社用車を運転中に事故を起こした。
組織で働く事が父には負担だったようだ。

それから叔父が働いている工場を手伝うことになり、嫌な上司からマニュアル通りに扱われることもなく、笑顔が戻った。



私が30代で結婚し、出産し、家庭を持った。
兄は大学の時から家を出ていて20代前半で結婚し、東京に住まいを移していたため、私が実家の近くに住む事を選んだ。

結婚するときに父は

「いつかこういう日がくると思っていたけど、やっぱり寂しくなるなぁ」
とポツリ呟いたのを覚えている。



父は、体の具合も良くなり、若い頃からの趣味であった登山を楽しんでいた。今思うと、子供たちが離れ、自分の時間を自由に使っているように見えて、孤独と闘っていたのかもしれない。


そんな父が富山県で登山を楽しんでいた時、急に母から私の仕事先に電話がかかってきた。

「お父さんが崖から転落してヘリで搬送されたって。どうしよう」

父は、一旦富山県の病院に運ばれたが、実家近くの総合病院へ転院することになった。


すでに70歳になっていた。


ひどい怪我の後遺症も運の良さからだいぶ回復した時、母に

「一緒に北海道へ行かないか」
と言った。

母は
「嫌だよ」
と断った。


散々迷惑をかけられて、母はもう限界だったらしい。

最初で最後の夫婦旅行にしたかった父はそれでも母を連れて旅行へ旅立った。


つづく



毎日愛娘弁当❷

母へお弁当を届けます👍

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☆かぼちゃの煮物すりごま乗せ

秋から冬にかけて北海道産のかぼちゃ🎃がとても美味しいです。母が好きな甘めの煮物を作りました。

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