映画 「わたしに会うまでの1600キロ」
2015年に観た時の映画感想文がFBから出てきたので、そのまま転載です^ ^
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映画
「わたしに会うまでの1600キロ」
先週、どうしてもこの映画が見たくて、街に出かけた。
観たら、ただ歩くだけの映画ではなかった。
たくさんの、複雑なテーマを抱えていて、映像の美しさと共に、予想以上に良い映画だった。
正直、この映画を観ていたら、気がついたら、泣きっぱなしだった。
だって、この映画ほどでは無いけれど、私自身の人生と、たくさん交差するんだもの。
私も、20代の初め、たくさんの心の痛みを抱えていて。
自分がどんな人なのか分からなくなって、自分を探したくて、何もかも捨てて、海外へ渡った。
この映画ほどの規模では無いけれど、毎日、山の中で暮らし、星明かりを頼りに、動物の鳴き声に怯えながら森の中を歩き、安宿を泊まり歩いた。
映画の中の主人公と同じ様に、きれいな事ばかりでなく、
いろんな事があり、いろんな人と出会った。
助けてくれた人もいれば、騙された事もあるし。
良い人もたくさんいたと同時に、怖い目にもあった。
食べるものがなくてボロボロだった日もあるし、ディスコで踊った日もある。
映画の中の主人公と同じく、刺青もマリファナもヘロインも身近だったり、
だけど、いつも大自然に囲まれて、私の目はきっと、いつも真っ直ぐきれいだった。
この映画は、実話を元にしているのだけど、主人公はきっと、私に似た人と思ってしまう。
人より、とても弱くて、同時に、とても強い部分を持った人。
私はいつも、自分の中にある、正反対の部分が扱いにくくて、もうすっかり大人と言われる歳なのに、未だに子供みたいに生きにくいと感じている。
映画の中の、母親との関係は、今の私と娘を思ってしまう。
私の子供時代の母は、映画の中の母と違い、ポジティブな人ではなく、どちらかというと、いつも悲観的な人だった。
代わりに、私がポジティブになる事で、家族のバランスを取っていた。
映画の中の主人公は、そんなポジティブな母親が理解できない。
同じ様に、私の娘も私のポジティブさを批判する。
いつか分かるのかな。
悲しい事があんまりたくさんあると、それはいつか、喜劇になる。
私が映画を観ていて理解出来なかったのは、ものすごく良い旦那さんがいるのに、離婚すること。
最愛の母を亡くしたショックから、どんどん堕ちていく自分を取り戻したくて、メキシコからカナダに向かって横断するのだけれど。
支援してくれるのは、別れたけれど、別れた旦那さんだったりする。
どうしてこんなに素敵な旦那さんと別れたのだろうかと。
さっき、パンフレットを読んでいると、パンフレットに寄稿した方の文章の中に、ヒントが書いてあった。
主人公の父親は、アル中で暴力をふるう人だった。
旦那さんは、それとは正反対の優しい人。
子供の頃に両親を見て作った痛みは、ソフトさだけでは補えない。
痛みで自分を保とうとする。
そんな文章を読んで、なんだか腑に落ちた。
わりと最近の事だけど、何年も仲良くしてくれた、優しい友人が一人、離れていった。
とても残念な出来事だったけれど、
それはもしかしたら、私が自分を保つために、無意識に痛みを求めてしまうのかもしれない。
それがきっと、優しい人には耐えれなかったのかも。
映画を観て思い出したのは、
一人ぼっちに思う時も、自然は側にいてくれること。
誰にも愛されてないと思っても、きっと自然に愛されているから、自分が存在している。
それから、日記が友達だったこと。
映画では、トレイルのノートだったけれど、私は旅先の宿のノートに、知り合った人の形跡をたどり、私も言葉を書くことで、後から来る人への道案内をしたこと。
他には…
人は、生かされる様にできているというか。
絶対ピンチ、死ぬかもしれない、という時に、なぜか不思議と、何かが現れる。
人だったり、水だったり。
人は、その人の寿命が来るまでは、簡単には死なないように…
あるいは、天の計らいで、死なせないようになっているのでは無いかと思う。
それは時に、生きる方がとても大変な時もあるかもだけれど。
生きる事に意味があるのか無いのか、分からないけれど、
命ある限り、精一杯生きるのが、生きる目的では無いかと、だんだん思う様になった。
文章が誰かの心に響いて、それが対価になって、それを元手にさらに経験を積んで文章など色々な表現で還元出来たらと思い続けています。 サポートお待ちしております♪