すがったもの
疲弊と、悲しみと苦しみと、いら立ち。
いろんな感情を毎日味わう中でも、嬉しいこともあった。
まだ幼かった息子と過ごす、朝のルーティン、
深夜に帰宅すると、絵をかいてくれてあったり、
まだ書けない字を母から教わり、手紙を書いておいてくれてあったり
優しい息子の成長が、幸せな気持ちになり
何度、その手紙を抱きしめ一人で泣いたことか。
子育てはほぼ、母と、隣に住む全く他人だけれど
信頼できるおばちゃんにまかせっきりだった。
でも私は、いつも不安定でいらいらしていて、
精神的に頼る人がほしかった。
いつも彼氏はいた。
いつも私は、女だった。
仕事の時以外は。
母ではなかったことを申し訳なく思う。
誰かにすがらなければいられなかった。
母は、私が仕事ができる環境を常に用意してくれたけど
そのことは、感謝しているけれど
私はもう少し、子育てもしてみたかった。
私がやる前に息子のことをさっさとやってしまって
それは、疲れている私への愛情表現だったのだと思うけど
子供をとられた。
と思う感情が、ときどきふつふつと沸いてきて
許せない気持ちになることもあった。
母は、待てない人なのだ。
誰かのために。という大義名分のもと、
自分が思うようにしないと気が済まないのだ。
父をだめにしたのも、それもあったのではないかと、
思っている。