#0005 正しさは、刃である 少数派の生き方その壱
はいどうも~かんぞうです。
今日は友人と一緒に駄弁りながらドライブに行きました~
エメラルドグリーンの海はやっぱいいもんですね!
夏をしたって感じです。
んで、タイトルの話。
私は昔から素直であほの子だったので、
言うべきことと言わなくていいことの分別が付きづらいんですよ。
まじで酷い奴だと自覚しています。
ちょうど国際左利きの日なのでそれに絡めながら話していきますね。
まあ左利きの生きづらさは折を見て愚痴りますが!(笑)
少数派の幼少期とそのときの結論
私は末っ子で左利きで早生まれだったので、基本的に周りには自分よりできる人しかいなかったんですよ。
負けず嫌いもそこから来ているとは思うんですが、
私には周りの人が私よりも、何もかもできて、器用に見えた。
普通に、普通のことが出来たのが羨ましかった。
私は物事をはじめるときには、「できない」「普通にできない」から大体はじまるんです。
右利きの人は、右利きの親から、先生から、同級生から、見たままを真似ることが簡単にできる。教わることが出来る。
箸の持ち方も、鉛筆の持ち方も、ボールの投げ方も、文字の書き方も。
私は両親ともに右利き(父は両利き)なので、ワンクッションいるんです。
例えば、親に「箸の持ち方が分からないから教えて」と言わなければならない。
言葉が分からないのにね。
例えば、鏡文字の期間が長かったです。
姉や親や同級生や先生と同じように書いたつもりでも、書き方を理解できてなくて、書けてないんですよね。
保育園や幼稚園での体験はクソだったので、割愛しますが、教わることも無かった。
でも、指摘されるんですよね。
「萱草さんは、鏡文字なんですよ~」「早くできるようになるといいね」
それが死ぬほど悔しかった。屈辱だった。
<萱草さんは、なんで普通のことが普通にできないんですか?>
と言わんとする眼差しがずっと大嫌いです。
んで、こんな幼少期を送りながらも両親と姉の不器用な愛情に包まれながら生きてきたので、
3歳くらいから私の精神は、
「できるようになるまで、工夫する。練習する。挑戦する。
どうせ私の気持ちなんてわからない奴らばかりだから、自分で何とかする。
私より先を行っている人間からすべて学び取って普通になってやる。」
となりました。
自分の周りにいる人は、学び取るための先人であり、尊敬しながらも解析していました。分析対象でした。
負けず嫌いだった私は、常に負け続けながらも食らいつく挑戦者になりました。
こんな化け物作っちまったのは、
保育園の先生、幼稚園の先生、あなたたちのおかげですよ^^
児童期:恩師との出会い
それでも生きているといいことはあるものですね。
小学1年生の時、今となっては私の人生の根幹を支えてくれている恩師と出会います。
その先生は私のこと覚えてもないぐらい私は影薄かったですが。
その方は、『女王の教室』の教師みたいな先生だったんですよ!
わかる人にはわかると思うんですが!その先生本当大好きだったなあ…。
とにかく正しいことを徹底的に教えてくれた。
疑問にきちんと論理的に答えてくれた。
感情的に怒らず、正しさで人を正していった。
この先生のやることで、私は疑問が解消されなかったことがありませんでした。
とにかくきちんと説明してくれる人。
子どもを子ども扱いせず対等な人間として教え導いてくれる人。
その先生は、徹底して、「なぜ勉強をするのか」と「勉強のやり方」を教えてくれました。
みなさんは、なぜ勉強・学び・学習をすると思いますか?
人はそれぞれ答えを持っているか、まだ見つかってないだけかと思います。
私には2つ答えがあります。
1つ目は、「知らないことを知ることは自身の成長であり、自身の成長を感じることは、楽しい」です。
2つ目は、「他者と、社会とコミュニケーションをするため」です。
具体的に言うのは長くなるし話がそれるので割愛しますが。
みなさんは、なんで学生時代勉強をしていましたか?
なぜ人は勉強すると思いますか?
「勉強のやり方」についてなのですが、とにかく先生は「自分で考えること」を教育してくれました。以下、多分私が1年生の時に学んだことです(記憶混ざってるかも)
自習は自分でしていいし、むしろ自分から学び取りなさい。
先生が、大人が全てを教えてくれるとは思うんじゃない。
自分から学ぼうとしないと学べません。
分からないことがあったら自分の頭で考えた後聞きなさい。
疑問を持ちなさい。どうしてと問い続けなさい。考え続けなさい。
ノートを取りなさい。メモを取りなさい。
聞いているだけでは何も学べません。考えなさい。
生活習慣を整えなさい。体調を整えないと成長できません。
使っている物に感謝しなさい。丁寧に扱いなさい。それはあなた方が学ぶために保護者の方がお金と時間をかけて買ってくれたものです。
掃除をきちんとしなさい。あなた方が学ぶために国民が支払った税金で建てられた校舎です。大事に扱いなさい。
姿勢を正しなさい。教える人はあなたたちに知恵を教えるために時間を割いているのです。崩れた姿勢を見せるものじゃありません。しっかり聞きなさい。
挨拶をしなさい。人と出会えたことにお互いに感謝するのです。
覚えている範囲でこんな感じなのかな~。
特に影響を与えたのは太字ですね~。今もふと迷いそうになった時に思い出します。
これをクソな幼少期を終えた後浴びたのです。洗礼ですよね。
めちゃくちゃ怖いことで有名な先生で、本当、「正しい」。
ひねくれてた子どもとしては衝撃でしたし、素直であほな子である私は、「この人は教師で尊敬できるな。少しでも学び取りたいな」って思いました。
んでタイトルですよ。
「正しい」って怖いんですね。
私はとにかく周りの人に追いつくのに必死で、
追いつくためにはこの先生の言っていることを徹底しよう、と学んだわけですよ。
先も言ったように普通になろうとした挑戦者だったわけですよ、不器用な。
実際、自分で言うのもなんですが、成績はいい方でしたし、人にはやさしくいい人であろうとしましたし、大きく間違った道に逸れたことはないでしょう。多分。
間違ったり、失敗体験は多くありましたが、正道から逸れることはなかったと思います。逸れそうになったら、周りの声を聞いて、正そうとしていました。
そうしたら、成長するとともに、
周りからちくちく言われるようになったんですよ。
「怖い」「なんかごめん」「すみません」と。傷ついた顔で。
正しいということは、刃である
気づいたのが遅すぎた…。
本当に気づいたのは最近なんです。
私は私の思ったことを、自分の意見を真っ向から言うと、ひとを傷つけてしまう。
私は私としてなんかそこにいるだけで傷つけてしまう。
刃を振りかざしてしまう化け物だったみたいです。
齢X歳なのですが、本当、私と関わってきて、
傷つけてきた皆さん本当すみません。
基本的に私は誰も傷つけたくないしラブ&ピースに生きたいので、
人を傷つけるつもりはないし傷つけたくないんですよ。
人が傷ついた顔を見ると本当に辛いです。自分が傷つくより本当に辛い。
先も言ったように、私は普通のことが普通にできない。
人が何で傷つくかが本当の意味で理解できない。
読み取るまでに時間がかかる。
相手の傷ついた表情を、呼吸を読んで漸く気づくんです
「やっちまった」って。
私としたらただ素直に疑問に思ったことや考えたことを軽く言っているつもりなんです。
ある場所では、「萱草さんって意外と”言う”人なんだね・・・」と言われました。
ある場所では、妙齢の方に素直に疑問を伝えると「え、すみません」と傷ついた顔で言われました。
そんな私の愚痴を聞いて、聡明で繊細な父親が上手く教え導いてくれました。
多くの人は、あいさつ程度のコミュニケーションしかしないんだよ。「おはよう」と言われたら「おはよう」と一言返しなさい。それ以外は話さなくていいんだよ。
意見を求められたら、少しだけ短く穏やかに伝えてみたら。全部伝えようとすると、相手は責められているように、攻撃されているように感じるよ。
早口と、圧をやめなさい。怖いから。
全部伝えようとしなくていいんだよ。相手は求めてないから。
全部というか、あなたの場合、本当一言でいいんだよ。別のこと考えた方がいい。
みんなそんなに考えて喋ってないよ
こんな私の愚痴を聞いて、自称宇宙人の母親は共感してくれました。
わたしは人に意見いうと相手が凹むから、テレビにしか意見を言わないようにしてる
あんたもわたしと同じ経歴でおもろいな
大変だったね。自分の考えを言って相手が消えるのはつらいよね
自分の想いを我慢するのもつらいよね
自分が素直でいてはなれない人と仲良くすればいいんだよ
今日友だちに言われました。
「私が求めていないのに勝手に土俵にあげられると無理になる。
ラインはしっかりと見極めてくれないと、冷める。無理になる。」
ラインか…ひとが踏み込んでほしくないラインを超えがちで、傷つけてしまったのか…。
閑話休題
デクかよ…。お茶子になりたいというのに…(ヒロアカ脳)。
でも中身の苛烈さはかっちゃんに似ています。
そして静かに一人で考え続け、芸術や表現で発散する道を選んだ。
文章は傷つく人は多少は少ないんじゃないかな!?
芸術は傷つく人少ないよね!
荒れ狂う荒波のような私は芸術に昇華しようと思います。