#0004 ブックマンになりたかった中二病の小学生
ませにませた中二病の小学生
令和のこの世にラビくんの新規絵をあんなに浴びたら死んでしまう。
はいどうも~萱草です。
今回こそは短めに書きたい。
7月29日にDグレの更新があったのはご存知でしょうか?
ネタバレなしである程度行きたいんですが、まあ私の好みの容貌の男が出てきたと思ったらかつての推しだったのでびっくりでした。
ラビくんとの出会いを書き記すしかねえ!と思いました。
私がラビくん(ずっとこう呼んでいるから治らない)を好きになったのはたしか、小学3~5年生の間の時。
この時期がちょうど、学校の勉強も退屈で学校の先生ともあまり相性が良くはなかった時だったんですよね。
で、こんな性格だから友だちが少ないわけなので、暇だったんですよ。
なのでハガレンを見てたりとかFF10を見返したりしてた時期だったと思います。
アニメとか、漫画とかとはっきりと出会って行ったのはこの時だったはず。
小4くらいの私と父とが近所の本屋に行った時に、平積みになったジャンプがあったんですよね。
そこでぱらぱら~ってめくったときにめちゃくちゃ絵が上手くて、性癖に刺さる内容の漫画があったんですよ。
それがDグレでした。
ええ、ずっと中二病です。
ちなみにその時性癖に刺さった内容が、日本編のラビVSロードの夢の対決の話だったんですよね~!!!
子ども心に思いました。
「顔のいい男が心の闇に直面して戦ってる~~~!!!苦しんで戦って勝って最高~~~!」
その時に買って帰ったかどうかは定かではありませんが、本屋で出会った記憶だけは残っています。
その後にアニメが始まったんかな?どうだっけ?
Dグレのアニメすごく好きでしたね。絵と曲がかっこよくて。
あまりにもラビくんが漫画から飛び出してきた声してたので、さすがに声優調べましたね。このころからパソコンは触っていました。
鈴村健一さん、本当にいい声です…。
この後鈴村健一さんとジャンプのおかげで銀魂の沖田君にはまるのはまたいつか話します。
憧れの人=ラビくん(多感な時期)
私基本的に思い込みが激しく完璧主義で素直で抜けてる子どもだったんで、ラビくんを浴びた後にいろんな影響を受けました。
「ラビくんたくさんのカギの中から本物のカギを見つけられるのかっこよ!!記憶力すごくてかっこいい!」
⇒目で見たことを絶対記憶してやろうという謎の奮闘
このころから黒板やワークの文字を目で覚えるのを早くしようとした記憶があります。
あと相手の表情とか、教室の風景とか全部全部覚えようとしてました(あほの子)。
その結果相手の表情がどういうこと言いたいのか、どういう感情かがある程度わかるようになって。相手の表情に合わせて気を遣って疲れてしまったため、人見知りと人間不信と人の顔が見れない悪癖は加速しました(あほ)。
まあでもこのおかげで絵を描くのがある程度早いと思います。見たものを覚える力を馬鹿みたいに練習したので…。
「ラビくんブックマンでかっこいい!私も図書室に行く!」
⇒結構長い間図書委員に
小学校5、6年の時は放送委員でしたが、中学校から高校生のなれる間はずっと図書委員だったと思います。
ただ図書室に行くのが目的(笑いどころ)なので、本はすごく読むタイプではなく平平凡凡の量を読んでおり、読書家ではないです。
このころラノベにはまってたしね(バッカーノ!)。
ラビくんの小説、Dグレ第二巻は小学生の時死ぬほど読みました。
性癖に刺さりすぎて最終的に小説や夢小説書いてました。
あの頃のデータ消しちゃったけど癖に正直で面白かった記憶があるので読み返したかったな…。
ちなみに読書家ではないですが、読書は好きです。
母とか推しとかもっと読書家がいるのでなんとなく趣味読書って言いづらいんですよね~。
「黒の教団とノアを俯瞰して見るラビくん(ブックマンという属性)かっこいい!」
⇒とんでもなく分析・俯瞰する人間爆誕
私自身はすごく繊細で神経質で感情的な人間なのですが、このころ何かと我慢することが多かったので、感情を抑え込もうとしてました。
そこでラビくんと出会って、ブックマンという世界と出会って、
「ああ、心のままに感じるのではなく、一歩引いて、目の前で人と人が起こしている物語として眺めれば、私自身は傷つかずに泣かずに済むのか」
と子ども心に思いました。結局昔も今も泣き虫なんですけどね。
こんなこと小学生から続けているからこんな文章書いたり人間観察が趣味だったり人間を分析したりする冷徹人間になるんですよ(自省)。
ラビくんが仲間の傷に心を痛めるたびに、「そこまで一生懸命心の底から相手を想えてすてきな人だな。優しい人だな。尊敬するな」と思っていました。
とにもかくにも、ラビくんは私の人生に重要な影響をあたえてくれた最高の恩師です。
おまけ:暇がやっと潰えた公文式
小学生のころは暇人だったのですが、高学年の時だけ友人からの誘いで公文に行くことになりました。
算数・数学と後で英語を習ったのですが、そこでの公文の先生がすごくプリントを渡す人で、毎週泣きながら、時にギリギリになりながら宿題をしていました。
ここでも思い込みの激しい完璧主義なあほな子が出ちゃって
「絶対全部やらないといけないんだ!!」
と思って泣きながらやってました。
今思えば説明も交流もなしにあれだけの量をポンと渡すのってマジでないわ~~。
ちなむと全然なじめなかった。先生怖いし子ども怖いし。友人の時間、違ったりするし。孤独。
爆速でチャリで帰ってもDグレ間に合わないし。泣いてました。
おかげさまである程度先の勉強を先取りしたので、中学校でもっと勉強量を増やせたのが良かったかなと思ってます。
先生に教わらずとも、勉強は先取りしてもいいんだとも思えてうれしかったです。
後左利き関係なく文字書くのが早くなったのと計算が速く(×正確性)なったのが大人の今になると本当に助かってます。
このころから音楽聞きながら勉強する習慣がついたな。
ずっとパラジクロロベンゼン聞いてた。
あと母親曰くストップウォッチ片手に公文のプリントをやってたそうで、この時のおかげで今体感時間を数えるのが少し得意です。大体何分経ったな~とか分かります。リズム感も付いたことになるのかな?ありがたい副効果でした。
英語嫌いは加速しました。
聞き取れん…文章通りに喋ってくれん…省略するな…単語覚えずらい…
言語の理屈が分からんかった…(予備校時代に解消)