簪道の始まり
簪と聞くと、時代劇に登場する女性や和装姿のおばあちゃん、あるいは京都の舞妓さんを思い浮かべる人がかなり多い。
いずれにせよ、着物を着た女性の髪に挿してあるものが、簪に強く抱かれるイメージであり固定概念にもなっている。
唐突で申し訳ないが、私は簪が好きだ。
でも簪の固定概念により、現代の日本では簪は実際のところ、かなりマイナーなジャンルに区分けされがちで、知り合って間もない人に簪が好きだと伝えると、驚かれることもあった。
確かに現代の日本では簪は和装時のヘアアクセ、という印象が強いため、洋装で簪好きだと言うと、不思議がられることもある。
それでも私はやっぱり簪が好き。
私も着物が好きなので、和装をして簪を髪に挿すこともあるけれど、普段から毎日、洋装でも簪を挿して過ごしている。
あまりにも唐突な紹介なので、なぜ私が簪好きになったのかをまずはお伝えしなければならない。
私がようやく物事ついたくらいの年齢の頃、家族で浅草観光をした。
そして浅草の仲見世商店街を歩いていた時、簪を取り扱う店の前に来て、私は店内に並べられた、色とりどり、そして種類も様々な簪を見て思わず、心奪われてしまったのだ。
なんて美しくて素敵なんだろう、と幼い私は痛感したものの、当時の私は髪が短かったし、簪を買えるだけのお小遣いも持ち合わせがなかった。
親にねだったとしても、髪が短いことで断られるだろうと察したため、結局私は、土産物店で簪デザインのシールがある『舞妓さんシール』を買うことで、簪へのときめきを抑えることになったのである。
でも簪への抑圧された想いは心の奥底にずっと残されており、紆余曲折のある年月を経て、成長し黒髪を伸ばした私は、簪のコレクターになっていた。
幼少期の浅草観光で芽生えた簪への想いは、私にとってすごく運命的な出会いであり、現在では簪は私のアイデンティティーでもある。
ただ、簪を愛し収集していき、知識も得ていくなかで、簪はすごくマイナーな存在であり、職人さんも減ってきているという話を耳にした。
簪文化をものすごく尊いと感じている私としては、簪文化が絶えてしまっては困ること。
そこで簪文化を盛り上げ、また簪の魅力を伝えるべく、簪への道を突き進みながら、こうして執筆に至ったのである。
全ては簪への愛からであり、簪文化が廃れないことで、私は今後もずっとコレクターを続けていけるもの。
要するに簪の魅力を伝えて、改めて着目されるように願って、執筆をスタートさせた。
ぜひ簪が好きだったり興味があったり、人生に疲れていたり、つまらなさを感じているあなたに、私が綴る簪の世界を捧げたい。
簪は本当に素晴らしくも奥深い存在なので、私のようにあなたも簪をどうか楽しんで、人生を謳歌してほしい。
実際のところ、簪は人生に大きく良い影響をもたらす存在でもあるため、あなたのアイデンティティーや、人生の道しるべになる可能性も捨てきれないだろう。
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