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コワーケーションはローカルとリモートをつなぐ「知の再結合」の絶好の機会:今日のアウトテイク#292(2024-09-05)

<アウトテイク>
・SNSに投稿するのではなく、これを自分SNSとした投稿
・記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」
・いずれKindle本にまとめる予定


#今日のBGM

#今日のコトバ

"自分に何もしてくれない人をどう扱うかで、その人の性格は簡単に判断できる。"
(ゲーテ)

#「コワーキング曼荼羅に学ぶローカルコワーキング基本のキ」受講者募集開始

9月より、「コワーキング曼荼羅に学ぶローカルコワーキング基本のキ」を開講します。

この講座は、自分たちにコワーキングが必要と考える人たち、そして、コワーキングを利用するコワーカーのカツドウを支援したいと考える人たちを対象にした講座です。

自分たちのローカルコワーキングの開設・運営をお考えの方は、ぜひ、上記のサイトをチェックください。

#インタビュー記事が公開されました

先日、コクヨさんが運営するウェブメディア「在宅百貨」でインタビューしていただき、その記事が公開された。ぼくのブログをお読みいただいている方には耳にタコな話だと思いますが、よろしければどうぞ。

あの長ったらしい話を根気よくまとめてくださった「在宅百貨」編集部の皆さんにお礼申し上げます。有難うございました。

#いまのそれが最高の自分

いまのそれを完成形だとは思わないこと。
完成させようとも思わないこと。
いま、この瞬間はこうだけれども、このあと、どう変わるかは判らない。
それでいいし、そうなることを承知したうえで、いま、それで良しとする。
続けていけば、そのとき最高のカタチになる。
そういう心構えで取り組めば、できないということは何もない。
いまのそれが最高の自分だ。

#じっくり作ってじっくり読むものを

そのコラムが連載されているから毎月読むという雑誌はある。いや、あった。それが今はウェブが代替している。毎月ではなく、その気になれば毎週、毎日でも可能だ。下手すると、毎時間。

ま、この「今日のアウトテイク」もそうだ。自分でやっておいて言うのもナンだが、いささか、せわしい。どうもすみません。

昨日も書いたが、雑誌が立ち行かなくなったのは、このいまどきの読者の時間間隔(感覚)に対応できないから、というのもあるんじゃなかろうか。

ぼくも特定のニュースソースから毎日配信されるようにセットしてるので、もう条件反射的に開いて読んでる。いや、読んでるというより、次から次へとタイトルをチェックしてる、いわゆるザッピングだ。

そこには、「次回が楽しみ」というワクワク感はなくなってしまってる。仕事の必要もあって情報収集するのだけれど、以前は、その収集自体が、なんというか、待ちかねたプレゼントの箱を開けるように楽しかった気がする。

たぶん、配信感覚が短すぎるのと、それで当然だが収集する情報が多すぎるので、脳内に溢れかえって処理が追いつかないのが原因だろう。変にスピードに慣れてしまってるというか。

一方で、じっくり時間をかけて作り上げる特集記事がその雑誌の存在価値を確かなものにしている、という事実もある。

ぼくの場合、例えば『あまから手帖』がそれで、飲食がメインテーマの雑誌だが、その町や人にもちゃんと目配りできている誌面づくりに学ぶところ多い。で、こういうものは読む方もじっくり時間をかけて読む。

ちなみに、ぼくは巻頭の町田康さんの連載コラム『食にかまけず』が好物。タイトルからしていい。

速ければいいってわけではない、ということを時々思い知らせてくれる、そういうメディアがあることを率直に喜びたい。

そして、自分もそういうものを作りたいと思う。

#コワーケーションはローカルとリモートをつなぐ「知の再結合」の絶好の機会

ひょんなことから、昨日、8年前のブログを読み返すことになった。コワーキングツアーのついでに、徳島でコワーケーションした話。

そう、ワーケーションではなくてコワーケーション。「コワーキング」+「バケーション」でコワーケーション。詳しくはこれをお読みいただきたいが、その前に、これも書いてた。

要するに、仕事と旅をミックスする長期滞在型のコワーキングのことを言うのだが、あくまでコワーキングがその起点にあり、拠点となる。そこが、最近よく聞く、観光ありきの日本のワーケーションと若干違う。いや、全然、違う。

コワーケーションはコワーキングが起点なので、いつもと違う土地のコワーキングで地元の人とつながり、交流する中で知見や情報を交換する、場合によっては協働・協業関係を結ぶ、そこから新たな価値を生み出す、という、コワーキングならではの可能性を秘めている。

それはビジネスでも社会活動でも育児でもものづくりでもなんでもいい。テーマは、「コワーキング曼荼羅」にだいたいある。

そこへ行くと(日本の)ワーケーションは、2020年7月、コロナ禍からの観光業界のリカバリのために、菅官房長官(当時)が突然「ワーケーション」と言い出したことに端を発し、主に企業に勤める従業員向けに奨励された経緯があるからか、観光ありきで実行されることが多かった。いや、今でもそうなのではないかしらね。

しかも滞在時間もせいぜい2〜3日で、移動のスキマ時間についでに仕事もするというおかしな認識をされていて、コワーキングはあくまで作業場として、要するにハコとして添え物程度に考えられているキライがある。

2〜3日をバケーションとは言わないし、だから、ワーケーションとは言い難い。それはリモートワークに過ぎない。このへん、コワーキングがシェアオフィスと混同されているのと同じメカニズムが働いてると思う。要するに、日本人が陥りやすいカタカナ英語の罠。ああ。

本来、休暇は個人が当然の権利として自律的に取得するもの。で、会社に指示されてすることではなく、ワーカーが自分の判断でロケーションを選びスケジューリングし、諸々段取り整えて、自由に時間を使うからワーケーションなわけで。ツメツメの予定表ではなく、余白を作って余白を愉しむ。先行する海外のワーカーがやってるのはこっちだ。

その上で、ここでぼくが強調したいのは、「場合によっては協働・協業関係を結ぶ、そこから新たな価値を生み出す」というところ。つまり、コワーケーションはローカルワーカーとリモートワーカーをつないで「知の再結合」を起こす機会となりますよ、ということ。

地方自治体もワーケーションを地方創生の文脈で企画して催行することもあるが、この視点が足りないのではないかと危惧する。観光業者に丸投げして、いっときの消費を煽るのは、地元経済の活性化を図るにしてはあまりに愚策だと思う。

そうではなくて、せっかくやってきた人と地元とのリレーションを築くことを優先すべきで、そのためにローカルのコワーキングをもっと活用するべき。というか、ワーケーションを企画するならローカルコワーキングありきでするべき。というか、コワーケーションをやるべき。長い目で見たら、その人間関係が地元に大きな果実をもたらすから。

コワーキングは単なる場所貸しの不動産業ではない。まちづくりのエンジンだ。まちの継続性を目的とするならば、そのはずだが、地元行政はそういう認識に早く立ってもらいたいと切に願う。

ちなみに、ぼくの講座では、ローカルコワーキングがコワーケーションを企画することを奨励して講義している。次回のこれでもそう。

地元に自分たちのコワーキングを開きたいという方、ぜひ参加ください。

ということで、今日はこのへんで。


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