今日のアウトテイク#145「京都はアホか、と言ってる場合ではない」ほか【メンバーシップ特典】(2024-04-11)
<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」
※noteメンバーシップ「Beyond the Coworking 〜移働の時代〜」に参加いただくと有料記事も全文読めます。初月度無料です。
AIとの付き合い方が問われる時代。
#今日のBGM
#今日のコトバ
※これはバンドマンと彼を雇おうとしたクライアントとのギャラの交渉の会話。とても大事なことを言ってるので、以下に雑訳を。
#告知:コワーキング開業運営講座+フィールドワーク #1茅ヶ崎チガラボ編「コワーキングがまちづくりに果たす役割とその方法」
【コワーキングをまちづくりの文脈で学ぶ!】
来る4月21日(日)、神奈川県茅ヶ崎市の「チガラボ」さんで開講します。
この講座では、まちづくりのいち手段として、コワーキングスペースをどのように位置づけ、どういう視点でまちを捉え、どんな活動を行うことで地域に貢献できるかを学びます。
講師に長年茅ヶ崎というまちで実践してこられたコワーキングスペース「チガラボ」の清水さんをお迎えし、実際に茅ヶ崎のまちを巡るフィールドワークを交えての5時間30分です。
講座のお申し込みはこちらから
まちづくりに取り組んでいる方、地域の活性化に役立つコワーキングを運営されたい方は、この機会にぜひ受講ください。
#よく見てね
マウスウォッシュだと思って口元に持っていったら、除菌スプレーのリセッシュだった。
アブナカッた。
もしかしたら、除菌したほうがよかったかもしれないが。
#ストリートアートが楽しい
FacebookにWorld Art Utopiaというアカウントがあって、路上や階段やビルの壁なんかにチョークで楽しい絵を描く人たちがいる。
David Zinnというこの人もそのひとり。
この写真、よく見ると膝にプロテクター(というのか)を当ててますね。
で、こっちにもたくさん載ってる。
しかし、よくこういう絵柄を思いつくなぁ。どの絵にもユーモアがある。そこがいい。楽しい。
あ、こっちに彼のサイトがあった。
ぼくはこういう、誰もやっていないことをマジにやる人が好き。
もちろん、相応の技術が伴っているのは確かだけど、仮にそれがなくても、「こんなん、おかしいかな」と思っても、やりたいと思うのなら、やろう。
きっと誰かが見てくれてる。
でこれは、手を使って描いてるけれど、こっちはAIが書くコンテンツの話。
#MediumがAI生成コンテンツの有料掲載拒否へ
ブログ作成ツールのMediumは、ぼくもnoteに移る前に使っていた。個人的には非常に使い勝手のいいツールだった(今でもアカウントは残している)。
というか、noteが出てきたとき、「あ、やったな」と思った。UIといい、機能といい、今はだいぶ変わってきたけれど、そのときはMediumそっくり、というかほぼコピペだったから。
Mediumのイケてる機能については割愛するが、ここにも有料でブログを販売する仕組みがある(それもnoteと同じだが、ぼくの記憶ではMediumのほうが随分前)。
で、その有料販売に関して、AIで作成されたコンテンツは掲載しないという旨の案内がニュースレターで送られてきた。
以下、ざっくりと。
「Mediumは人間のストーリーテリングのためのもの」と明言している。このあと、こう続く。
かなり明確にAIによるコンテンツにNOを突きつけている。それは、Mediumが「人間のストーリーテリング、知識の共有、個人的な表現を通して、世界に対する私たちの集合的な理解を深めること」を使命としているから。つまり、人間ありき。AIを誰がどう使おうが構わないが、我々はこう考えてこう行動する、というこういう姿勢が大事。
ちなみに、「ブースト配信」というのは、Mediumには良質な記事を人間がキュレーションして推薦する仕組みがあって、その中から読者の嗜好にマッチするものを流してくる。これも人間ありき。単に「いいね」が多いから、というわけではないところに、このメディアの良心を感じる(だから使ってたんだけど)。
さて、noteはどうなんでしょね?これを読んでるかどうか知らないけれど、AI生成コンテンツについて何かしらアナウンスはあるのかな。
見れば、すでに「AIアシスタント(β)」という機能の提供を始めていて、ぼくはまだ使ったことはないのだけれど、テキスト作成を支援することには前向きみたい。いずれ、どこまでAIの書いたものを許容するか、ルールがアップデートされる日も近いのかもしれない。
と同時に、ぼくらもどこまでAIを使って仕事するか、というか、どこを人間のする仕事とするか、自分なりのルールが必要になってきている。
ぼくの場合、例えば、こう。
#AIにできないことを仕事にする
テーマを考える。
それにピッタリの人を見つける。
アポを取って出かけていく。
遠くても行く。
丁寧に取材する。
時間をかけて話を聞く。
必要なら何度でも行って話を聞く。
見る。
撮る。
録る。
で、書く。
ここで、たぶんAIを構成とか補助的に使う。
しかし、発想することと身体性が伴うことはAIにはできない。
仕込みの部分。
そこを人間がやる。
いまのところ、こうかな。
あ、今書いてるこれは、一切、AIは使ってませんよ。
念のため。
#京都はアホか、と言ってる場合ではない
先日から、ポルトガルやスペインで、デジタルノマドや富裕層が国外からやってきたせいで起こった物価高に地元住民が悲鳴を上げている話を書いてるが、
デジタルノマド以前のレベルで街がゴミだらけになってるのが、京都。キャパシティをオーバーする観光客が押し寄せて処理しきれなくなる、いわゆるオーバーツーリズムによる弊害がまたしても。
またしても、というのは、コロナ禍のずっと以前から、狭い京都に観光客が溢れかえり、ドエライ混雑にそこで暮らしている市民も辟易しているという話はあった。
そこにパンデミックがやってきて、パッタリ人が来なくなり、「やれやれ、これでセイセイしたわ」とホッとしたのはいいけれど、同じようにオーバーツーリズムに頭を抱えていた諸外国がこれを好機と捉えて誰でも彼でも受け入れるのをやめ、特定の条件を満たす者だけウェルカムするように方針転換したのに、京都は性懲りもなく「はよ、前みたいに、よーさん人来てくれへんかなぁ」と、まるで無策のままコロナ明けを迎えた。で、この始末。
ヨーロッパのオーバーツーリズム対策についてはこちらを。
これを抑えるには、入場者制限するしかない。というか、「こういう人に来てほしい」とはっきり示すしかないと思う。ちょっと脱線するが、デジタルノマドに関しては、ヴェネツィアやバリは特にSTEAMの分野に能力の高いプロフェッショナルに絞っている。これは「知の再結合」を期待してのことだが、それぐらいターゲットを絞るべきではなかろうか。
そのことはここに書いてる。
京都の話に戻るが、成毛さんもこう言ってる。
いくらでもやり方はあるはず。
で、これ、京都に限った話ではない。そのうち、地方にもホントの日本を求めてツーリストがわんさかやってくると、同じことが起こらないとも限らない。京都を教訓に、何某かの用意はしておいたほうがいいと思う。
そして、デジタルノマドを受け入れる体制をよーく考えて整えておくということ。他国では、「デジタルノマド排斥運動」なんてのも起こってたりするご時世だから。上手に付き合って仲間になるよう。
その前に、地方はライドシェアを何とかしないとアカンですけどね。
ということで、今日はこのへんで。
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