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今日のアウトテイク#182「有難う、ぼくのメールアドレスたち」(2024-05-18)

<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」

※今日はカフーツ14周年Jelly、やります。


#今日のBGM

#今日のコトバ

"コミュニケーションで最も重要なことは、語られていないことを聞くことだ。"
(ピーター・ドラッカー)

Thursday wisdom:

Posted by Daniel Pink on Thursday, May 16, 2024

#(お知らせ)インディー・コワーキング開業運営塾、受講者募集開始

6月からの「コワーキングマネージャー養成講座」の受講者募集開始しました。今期から、ズバリ「インディー・コワーキング開業運営塾」です。

お得な早割もありますので、興味ある方は今すぐこちらへどうぞ。

#右か左か?

あれ?普通、ご飯は左じゃないの?

まあ、いいか、と食べ始めて思い出した。確か、味噌汁とかの汁物の置く位置が関東と関西で違う、という話。

検索してみたら、とんでもなく詳しいサイトがあった。

関東では味噌汁を右手前に置く場合が多いですが、関西では左奥に置く場合があります。特に、大阪・京都・兵庫の3府県では、7割近くのひとが、味噌汁をご飯の奥の左側に置くと答えているアンケート結果もあるそうです。

ぼくは神戸だから、左奥が普通だと思ってた。で、読んでみると、商売っ気ある関西人の合理性とか、ボリュームのある主菜の見栄えとか、大阪ではあまり味噌が消費されないからとか、いろいろ説がありオモシロイ。「左奥」というのは、あくまで便宜上あとから生まれたもの、というのは、まあ、そうでしょうね。

しかし、そのあと、「左上位」という考え方についての考察は読み応えある。ナニゴトにも謂れがあるということですね。

お弁当から思わぬ勉強になりました。

#迷ったときの開高健

開高健の『新しい天体』の新版がちくま文庫から出たので、迷わず買った。この人の復刊は、昔読んでても必ず買う。

この本の初版は1974年だそう。なんと50年前。

これをはじめて読んだのは学生の時で、右の青い文庫がそれ。定価280円。消費税もない頃。活字がものすごく小さい。今なら、2ページで放り出すところだ。

日本各地の美味いものをリポートするという任務を負った官僚が、全国を食べ歩く。銀座のたこ焼きから始まり、神戸、大阪、松江、知床半島、土佐、十和田湖、そして鹿児島と、興味の赴くまま移動する。(今思ったが、だいたいコワーキングツアーで行ったとこだな)

ただ、食べるだけではなく、その土地の風情や地元の人との会話、社会風刺なんかも散りばめて、というか、食という衣は着ているが、本当に書きたいことはそっちであって、凡百のグルメガイドと一線も二線も画しているところは、さすが作家。

とりわけ、会話がビビッド。著者自身、コテコテの大阪人だから全部関西弁だが、その土地の人の言葉も違和感なく読めるのは、書き手の技量によるものと見える。

こういうのを小説というのか、ルポというのか、エッセイというのか、著者自身も単行本のあとがきに「こういう形式を何と呼ぶのだろうか」と書いてる。

官僚主義をののしるというストーリーを全篇ことごとく食談で書いてみた。女と食べものが書けたら一人前だというのが文学修業の第一の戒律だが、そのむつかしさ、重要さは、古今変わることがない。やってみてあらためて身にしみて思い知らされることがあった。

で、これを●十年前、夜中にアパートで寝っ転がって読んでたら矢も盾もたまらず、部屋を飛び出して、灘温泉の前にあった「船越」という屋台に走っていった。ビニールのカーテンを恐る恐る開けて隅の椅子に座り、生まれて初めてひとりで屋台で熱燗を呑んだ。今でもクッキリ記憶に残っている。

ちなみにその「船越」は、神戸の震災後、復興されて、同じく灘温泉のすぐ前に、今度は屋台ではなく立派な店を出された。よかった。

開高健はぼくの原点と言っていい。一番最初にガツンとやられたのは、実は小説ではない、エッセイだった。

あー、これも古い。1980年。360円。裏表紙に「鋭い洞察が溢れ、ユーモアとウィットに富み、自ずと人柄のにじみ出る絶妙な語り口は読者を魅了せずにはおかない」とある。そう、魅了された。

モノを書くようになってから、自分がこの人の影響を受けていることが判った。饒舌でとめどなく言葉が出てくるのに、スラスラと読める、読まされてしまう。いや、とても自分はそこまではできていないが、そうなりたいと思って書いてる。なので、勢い、長文になる。それは全部、開高のせいなのだ、と言い訳しておく。

時々、開高の本が目の前に現れる。ちょうど、今、取り掛かってる仕事に迷いがあったその時に。そんな時、いつも決まって開高に戻る。不思議。

「おまはん、忘れてんのんとちゃいまっか?自分の書きたいように書かなあきまへんで。よろしおまっか?ほな、まずは一杯いきまひょか」と言われてる気がする。

構成とか文体とか、読ませどころはどこだとか、もちろん締め切りというスケジュールとか、いろいろ考えすぎてる自分に気づいた。先日の、琴平のイベントでもそう思った。アカン、思考してるようで停止してる。

下手な考え休むに似たり、という。
書きたいことから書けばいい。
そうしよう。

開高さん、見といておくんなはれ。

#有難う、ぼくのメールアドレスたち

ずっと組合で使ってたサーバが移管したのでメールサーバも変わった。それで、新たにメールアドレスとパスワードを作り直して、メールソフトに設定しようとしたのだが、これに手こずった。

ぼくはずっとGmailを使ってるのだが、もう長いこと設定などということはしていないので、やり方を忘れてたのと、Gmailのほうも新たな機能ができてて、浦島太郎状態。

仕事仲間にいろいろ聞いてやってみるのだけど、うまく作動しない。メールサーバには届いててもGmailが受信しない。で、今日、「昔、メールサーバから自分のメルアドに転送設定してなかった?それでええと思うよ」と言われて、あ、そっか、と。そしたら、できたみたい。なーんや。

ただ、ひとつだけテスト送信しても届かないアドレスがあって、なぜ、それだけかが判らなかった。どうも、自分のGmailのアドレスから何度も送信するとスパム扱いされてGoogleが受信拒否するらしい。知らんけど。

で、そのGmailの設定画面を開いたら、過去にやってきた仕事に使ってたメールアドレスがズラ〜っと、ざっと30個ほど並んでて、しばし、感慨にふけってしまった。

あ〜、いろんなことしてきたなぁ、と。
よくもまあ、生き延びてきたなぁ、と。
メールアドレスが過去の自分を思い出させてくれた。

これまでずいぶんお世話になってきた。
有難う、ぼくのメールアドレスたち。
これからも、よろしく。

ということで、今日はこのへんで。


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