正論が嫌われる世の中になりました
仕事に対して熱い気持ちを持つということは、私は良いことだと思います。何事に対しても熱い気持ちを持ち、それを表現していく。物事に熱を乗せて表現出来ると言うのは素晴らしいと思います。しかしながら時代は刻々と変化していき、熱意がありすぎるのは敬遠されて、何事にも程々さを求められる事になり、どちらかと言うと私も熱いと言われておりますので、その熱さを持った存在が、
煙たがられてきているのを肌で感じております。
それを嘆いたからと言ってなにかが変わるわけではありません。だからといってその現実に対して指を加えて見ているということも性格上出来ません。この現実に反旗を翻すつもりはありませんが、少し寂しい世の中になったなと言うことは、つくづく感じております。
いつの間にか正論が敬遠されるようになってきました。正論そのものが敬遠されているわけではなく、いわゆる正論を振りかざすということを敬遠されているようですが、この現状を世間的には、
ロジカルハラスメントと言うそうです。
簡単に言うと、正論を振りかざして相手を追い詰めることだということです。最近は〇〇ハラスメントというのが増えてきて、私自身は「セクハラ」「パワハラ」くらいしか知らない私にとっては、こんなハラスメントもあるんだなというのが正直な感想です。
確かに正論で追い詰められるというのは、言われた方にとっては辛いんだろうなと思います。しかしながら私はこれには異論があります。人の考え方というのは様々です。どちらが正しい、正しくないということを言っているのではありません。もちろん言い過ぎるというのは気をつけていかなければいけないですが、
なぜそれを言われたのかをしっかりと考えて、それをロジカルハラスメントと言っているのかというのが疑問です。
それぞれの立場や関係性によるんだと思いますが、正論かどうかと言うのを判断するのは、相手方になります。相手が正論と感じられてしまったら正論になってしまうわけです。それはハラスメントの概念で言うと全てのハラスメントがそうなります。それを言われてしまうと、
意見として言うのが怖くなる人が出てくるなと思います。
今はこのような状況が出来てしまっているので、言いたいことが言えなくなってきているように感じています。もちろん自分の考え方を正論化するつもりはないですし、自分の発する言葉に責任を持って発言しています。では、その正論を言われた人というのは、
自分の意見に責任を持っていたでしょうか。
仕事においては、意見をかわさないと意味がないです。なので意見が出ないとするなら、それを違った形で伝え直す必要があります。それを追い詰めっれたというように捉えるならば、逆の立場から言わせてもらえると、反論できない意見だとするならば、簡単に発してはいけないんではないのかなと思うんです。物事を動かすには、言葉に強さを持たないといけません。その強さを持たすには、一番強いのは正論になります。その強い言葉を敬遠されてしまう時代になったとするなら、