8-04 「僕の桐谷さん」
連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。「前の走者の文章をインスピレーション源に作文をする」というルールで書いています。
【杣道に関して】https://note.com/somamichi_center
【前回までの杣道】
8-03「鈴木におまかせ(仮)(3)」 蒜山目賀田
https://note.com/megata/n/n11ca5c0d4362?nt=magazine_mailer-2022-01-04
8-02 「スタイル」C Tanaka https://note.com/tttttt_ttt/n/ncf4e40ad2875
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僕の桐谷さんはヤバイ人人だった。酒は飲まないし、薬物もやらないが、水に酔う桐谷さん。突然キレて、暴れ出す。何か理由はあるようなのだが、誰にも理解も推測もできない。一度など、僕らの宿舎だったプレハブ小屋の一室をまるごと破壊してしまったっけ。それでも、ヤバイのはその理不尽な暴力じゃない。普段の桐谷さんはいたって温厚だ。いつも笑みを絶やさない。ヤバイのは極端な落差だ。この落差に誰もが不気味さを感じていたのだ。人はこんなにも突然、変わるものかと。変わるだけではない。また突然に温厚な人にもどるすばやさ。変身と戻りのすばやさ。お前はカメレオンかと。まあ、冗談はさておき、そんな桐谷さんの消息を、僕は数十年ぶりに、ある小説のなかで知ることになったのだ。
懐かしさよりも何よりも、盲亀の浮木というか、奇跡のような偶然に驚愕したのだった。小説によれば、桐谷さんは一度結婚をし、娘と息子がいるらしい。職業は不詳だが、ギャンブラーであり、技術者であり、芸術家であり、発明家でもあるらしい。小説のなかの話によれば、亀にプリンターをつけたり、スピーカーやラジオもつけてしまうらしい。最近は娘の頭をカメラにしたという。鋳鉄のギルド的秘密結社の系譜につながることも仄めかされている。ああ、桐谷さんだ、僕の桐谷さんだ!
僕が桐谷さんと出会ったとき、桐谷さんは千葉にある製鉄会社(千葉と鋳鉄の符合)の技術者だった。随分と昔の話だが、当時、桐谷さんはアルジェリア第4の都市アンナバでの高炉建設プロジェクトの技術者として赴任していた。僕はフランス語の通訳として同じプロジェクトに雇われていた。通訳といっても、少しばかりフランス語ができる雑務係にすぎなかったのだが(当時の僕は、パリに住んでいたのだが、いろいろなごたごたがあり、お金にも困り、衣食住が保障されてすばやく稼げるというので、逃げるようにアルジェリアにやってきていたのだった。地の果てアルジェリアへの出稼ぎ。ああ、詩を捨てたランボーよ!なんのこっちゃ)。僕らは街の中心部から離れた小高い丘のふもとにプレハブ小屋を建て、そこを宿舎として製鉄所に車で通っていた。
桐谷さんは当時から発明家の資質があるというか、何でも自分で作ってしまう人だった。一番の傑作は蒸留酒をつくるために蒸留装置をつくってしまったことだ。当時のアルジェリアはガチガチの社会主義国で、ウィスキーが高価だった。というよりも、闇のルート(密輸入)からしか入手できなかった。そこで桐谷さんはワインを何本も使って蒸留酒をつくることを思いつき、蒸留釜と冷却器からなる小さな蒸留装置をつくったのだ。何を思ったのか、そこにサソリを漬けて、マムシ酒ならぬサソリ酒と称していたものだ(僕らの宿舎があった場所には、サソリが生息していた。朝、起きると、安全靴を振るのが僕らの日課だった。ああ、二度と戻らぬ冒険の日々よ!なんのこっちゃ)。一杯の蒸留酒をつくるのに、何本のワインが必要だったか忘れてしまったが、僕らは一口一口、舐めるように味わったものだ。桐谷さんがつくった冷却管は、くねくねと無駄なくらいに長く、一滴落ちるのに何時間もかかったものだ。それでもみんな、一滴一滴落ちていく蒸留酒を飽きることなく眺めていた。おお、一瞬一瞬の何とも長かった持続する時間よ!
あ、今、思い出したんだけど、桐谷さんがキレて暴れる前には、前兆なものがあった。前日の夜中に、部屋を抜け出して、満月でもないのに、夜の天空に向けて吠えるのだ。次の日は必ずといっていいほど、キレて暴れ出していた。そんな桐谷さんが帰国させられることがなかったのは、桐谷さんが技術者として優秀だったからだ。アンナバの高炉建設プロジェクトはソ連との共同プロジェクトで、高炉そのものの建設はソ連が担い、日本の製鉄会社は高炉に空気を送り込むシステム(当時、これが最先端システムだったらしい)の導入を任されていた。そのシステムの中心的な考案者が桐谷さんだったというわけだ。
小説のなかでは、桐谷さんはスポーツ賭博にのめり込んでいたみたいだけど、アルジェリアでの桐谷さんも大の麻雀好きだった。けっして強いわけでもないのだが、けっして負けることもなかった。どんなに勝っていても負けていても、最後は見事なくらいにプラスマイナス0になる。億万長者にも、破産者にもならない、永遠のギャンブラー。そんな桐谷さんだが、確かに芸術にも明るかった。中谷芙二子 の名前こそでなかったけど、カルダーやキネティシズム、とりわけジャン・ティンゲリーの話をよくしていた。小説のなかの桐谷さんが亀にプリンターやスピーカーをつけたり、娘の頭をカメラにしてしまうのも、さもありなんというわけだ。
僕の桐谷さんとの付き合いは1年足らずのものだったけど、その後、なぜか僕はハワイで1年間過ごし、その後、帰国した。あれから何十年も経つけど、桐谷さんがその後、どうなったかは聞いていない。僕がアルジェリアを去った後も、プロジェクトは継続していたので、おそらく桐谷さんもそのままアルジェリアにいたはずだ。そういえば、一度、昔の通訳仲間から桐谷さんの噂を聞いたことがあったけ。プロジェクト終了後、桐谷さんはなぜか、イスラム教に入信し、イスラム原理主義にのめり込んでいったという。もちろん、噂にすぎず、真意のほどはさだかではない。それでも、あの桐谷さんなら、それもありかなと、納得した覚えがある。そういえば、いつだったか天然ガス精製プラントでのイスラム原理主義者によるテロ事件があったな。桐谷さんが一枚絡んでいたかもしれない。そんな想像をさせてしまう桐谷さん。
その桐谷さんが今は小説のなかにいる。誰かによって語られた小説のなかの桐谷さん。
この話は現実のものなので、架空の個人によく似ているにしても、それは偶然にすぎない。