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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

走れ!!!!!!!!!!

日本列島に台風が近づいている。その年1番最初に生まれた熱帯低気圧台風1号君は例年より随分と発生タイミングが遅いらしい。その分を取り返したかのように凝縮された低気圧は我々の日常生活を阻む。
午後7時半頃に最寄り駅に着いた私は、向かってくる暴風に、傘を真正面に短く持つ事で争っていた。線路沿いを歩く帰路、向かいから電車がライトを照らしながら通過する。その瞬間、私の半透明のビニール傘は光を屈折させ、虹色を私の目に届けた。
一歩ずつ、ズボンの裾を濡らしながら、しかし確実に帰路へ着く。
今の私には低気圧は効かない。暴風は届かない。豪雨を受けても響ない。虹色の光だけが私へ届く。自分の足で歩く。

もう、誰のせいにもしない。


※以下、「劇場版ウマ娘プリティーダービー新時代の扉」のネタバレを含みます。


私は数年前、自身のモラトリアムの終焉を悟っていた。人の作った作品と(割と広義的無意味での)、自分の連続する生活との乖離を実感し、一歩ずつ、居たところから離れていた。具体的なことなどは何も無い。作品を作っていただとか、何かを目指していただとか、そのような具体的な物など何も無いからこそ、離れて行った。
離れて行くと不思議なことに、何にも感動できなくなっていた。自分の足りなさに絶望したことが、トラウマのように。お前はそちら側の人間では無いのだと。何かを作り出せる側の人間では無いのだと。
労働を含む日常生活以外で私の魂の部分を引き止めていたのは馬の駆ける蹄鉄の音のみであった。
もう私は馬のことでしか感動できないとすら人に言われていた。
それはきっと、駆け抜けることへの憧憬であった。

要は諦めていたのだ。何かに。
日々生活を生きることに重きを置き、それ自体は重要なことなのだが、しかし、漠然とした諦めを引き摺っていた。
自分は自分の生活を。
誰かが、私じゃ無い誰かが、何かを燃やして形を作るのを見ていた。
漠然と、もう、自己を世界に馴染ませ
眺めていた。何も出来ず、何も生み出さず。
そして眺めているようで直視できずにいた。
ずっとそっち側に行きたいはずだったのに。
きっとそれこそが慢性的に患っている漠然とした不安であった。
日常をきちんと生きているようで、どこか感じる物足りなさ、羨ましさ、恨めしさ。

憧憬。

もう十分に理解したと、私では無い誰かが、世界を作っていくのだと。面白いなあ眩しいなあと。

誰が?
一体誰が私の人生を?



「先に行くぜ」

待って、待ってよ置いていかないで
置いていかないでよ!!!!

アグネスタキオンが走り出したあの瞬間、
私も確かに走っていた。
雄叫びを上げていた。

置いていかないでよ!!!!!!
誰かの脚じゃない、自分の脚で走るんだよ!!!

何があったって、どんな人生だって、自分の脚で走るんだよ!!!!!!
脚が壊れたって、サラブレッドみたいに予後不良にはならないじゃないか!!!!!!治るじゃないか!!!!!!!

走れ!!!!!!!!
私が走れよ!!!!!!!


もう羨まない、恨まない、冷笑なんて1番嫌いだったはずだ。もうわかったような顔をしない。
自分で走る。
暴風の中でも豪雨の中でも傘もちながらでも、
自分の脚で行くよ。


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