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美容師が未来に与えるべき夢とは?

2022年。

今年一年間の私のスローガンは『自創哲学大成』であった。

2022年1月からセミリタイヤ生活をはじめて、色んな事柄に対して、自分なりの哲学を蓄えてきた。

今年も残すところ1ヶ月を切った。

これが今年最後の文章になるかも知れないので、今年一年の一つの締めくくりとして、今回は美容師/美容業界の未来についてまとめてみた。


北海道一周ツーリング



『もっと美容業界を良くしたい。』
『もっと美容業界を盛り上げたい。』
『美容師になりたいという若者を増やしたい。』


この様な言葉は、美容業界内でよく耳にする言葉たちである。

多分、美容業界だけに限らず、どの業界においても、自分が所属する業界の中で、その様に考えられている方々は、想像以上に沢山いるのでは無いかと思う。

そんな『志』はとても素晴らしいし、私も美容業界の中でそういう存在であれれば良いなと思っている。

だからこそ、私たちが真剣に考えなければならないのは、『どの様な事をすれば、その様な『志』を大成する事が出来るのか?』という具体的な内容だと思う。

『志』が立派で、その思いが大きければ大きいほど、『気持ち』や『意気込み』だけではダメだ。

つまりは、その為の『手段』と『方法』を明確にするべきではないだろうか?と私は思う。

タイバックパッカーの旅


この『手段』の一つとして、一般的に使われるのが『夢』という存在を用いる方法である。

もちろん、その『夢』の『具体的なカタチ』は、人それぞれ、様々なものがある。

特に、『地位』『名誉』『名声』『お金』『社会貢献』などなどが、誰にでもわかりやすく、とっつきやすい『夢』として列挙れる事が多い。

私は先に書いた様な『志』には賛同するが、この様な『夢』として与えそれらの『具体的なカタチ』に対しては、「もういい加減、そろそろマインドチェンジをしてもいい頃では無いか?」と常々思っている。

そういう風に偉そうに言うのであれば、「その『具体的なカタチ』をカンタロウが示してみろ!」という強烈な突っ込みが入りそうなので、私の考える『夢』の『具体的なカタチ』を、これからつらつらと、かなりの長文で書き綴りたいと思う。

時間のある方は、是非ともゆっくりと頭の中でイメージをしながら読んでいただけると幸いである。


ミヤチ君と東京にて。


まず、私の結論から言うと、『具体的な夢のカタチ』=『自由選択が出来るようになること』である。

『自由選択』とは、文化的な社会の中で構築されたもので、人間としての『高度な幸せ』へのカギになるものだと考えている。

『宗教』『職業』『居住』『結婚』などの基本的な人権の様なものは、文化が発達した地域や社会の中で『最重要』且つ、『最優先』とされながらも、長い歴史の中では中々簡単には手に入れる事ができず、誰もが命をかけて戦いながら勝ち取ってきたものだ。

であるからこそ、この『自由選択』が出来るという状況や状態に辿りつく事こそが、『夢』の実現の鍵となり、はたまた『幸せ』という境地にまでも辿りつく重要な要素になるのだと考えている。

『夢』のある業界は必ず発展する。
『自由選択』をが出来る業界は必ず発展する。
『幸せ』な人生を送れる業界は必ず発展する。


そういうものだと思う。




そんなこんなで、『夢』=『自由選択』=『幸せ』というイメージが私の頭の中に確立されている。

この式を、私が所属する美容業界に落とし込んでみる。

ベトナム視察の旅





若者たちが『夢』を描くとき、その道標となるのは、先人である『憧れの先輩』たちの姿だ。

若者は先輩方の背中を見て、その姿に『憧れ』を抱き、時には『反面教師』にもしたりする。

勿論のことではあるが、その先輩方も何十年か前は今の若者と同じく『若者』であったわけだから、『若者』の気持ちは何となくわかる。

であるからこそ、若者達に『憧れの姿』を見せつけることで、『夢』を見せてあげようと必死に努力するわけだ。

先輩方がもがき苦しんだ経験を活かし、少しでも次の世代に明るい未来を託したい。

これが、『美容業界を良くしたい!』という『志』の礎となっている訳だ。

繰り返しになるが、今回、私がこの文章で伝えたい事は、冒頭にも書いた通り、その『具体的な夢のカタチ』や『憧れの姿』の中身を進化させていこう。という提案だ。

大阪の親友、マル(左)とユウ(右)


私が20代の頃、30〜40歳前後の『旬の美容師』の先輩の姿に夢を見た。

いわゆる『カリスマ美容師』という存在だ。

『地位』『名声』『お金』を手にして、当時の若者達を「美容師になりたい!」と思わせ、美容業界に対して、『カリスマ美容師ブーム』という業界への『社会貢献』の火付け役になった方々だ。

自分と彼らの年齢差もせいぜい多くても20歳差ほどで、イメージもしやすく、『憧れの存在』となった。

テレビ画面から見る彼らの姿は、遠い存在ではあったが、ある意味では、「頑張れば手が届くのでは無いか?」という近い存在でもあったからだ。

『俺も絶対にカリスマ美容師になるんだ!』

若い頃の私は、自分の可能性を信じて、がむしゃらに彼らを追いかけることができた。

当時の私のこの様な思考回路は、『時代が今から25年ほど前だったからそうだった。』というわけではなく、今の若者でも、この様な現象(思考回路)は当たり前にある。

現在であれば、『SNS』がその媒体となり、『SNS』で輝いている『先輩』の姿に対して、若者達は『憧れ』や『夢』を現代でも描くのだ。

そのこと自体は自然な事であり、何も問題は無いし、当然の事だと思う。

しかしながら、今になって、過去の自分に問いたいのは、『その先輩たちの、その先の未来をイメージ出来ていたか?』という事だ。


昔のとんがってた私(23歳ぐらい)とワイさん(21歳ぐらい)



『先輩たちの、その先の先輩』というのを具体的に言うと、私が20歳の時に、二つ上の世代となる、50〜60歳ぐらいの先輩美容師の存在だ。

きっと当時も、50〜60歳ぐらいの先輩美容師は、今ほど数は多くは無いが、確実に存在して居たはずなのに、そういう先輩美容師の情報は全く目に入らなかった。

あの頃の私は、一つ上の世代の美容師の華やかな姿や、ヘアデザイン、テクニックばかりに目が行ってしまっていて、「50〜60歳前後の先輩美容師に全く興味が無かったから見えて無かった。」という方が正しいのかもしれない。(もしかしたら、彼らにも見せれるものも無かったのかも知れないが。)

目の前に背中が見える30〜40歳前後の先輩美容師の姿だけを見て、その先の先輩の未来の姿はイメージせず、ただただ追いかけて走ってきたわけだ。

マラソンで言えば、当時の私は美容業界マラソンの第三者集団あたりを走っていて、先頭集団の姿は見えないが、第二集団の姿はみえている様な状況。

第二集団に引き離されないようなペースで必死に喰らい付いて走っているが、先頭集団が見えないので、このコースを、このペースで走れば、この先どうなるのか?はわかっていない。

また更に言えば、実際にはコースの全体図も見えておらず、ゴールさえもどこにあるかも知らないままに、ただ突っ走っている様な感じだった。

シンガポールLIMの仲間たち



そして現在。

あれから30年近くの月日が経った。

あの時、私が見えていなかった先頭集団の先輩方は、70〜80歳になり美容業界からほぼ消えた。

現在の先頭集団は、あの時の私の憧れだったカリスマ美容師。現在、60〜70歳ぐらいであろう。

多分、私は現在、第二集団あたり。

そして、その私の後ろから第三集団(40〜50歳)、第四集団(30〜40歳)が付いてきている。

更にその背後には、第五集団(20〜30歳)が走り始めている。

何が変わった訳でもない。

先の集団が消えて、集団の立ち位置が変わっただけだ。


どの集団の人間達も、結局は同じコースを走り、『抜くか?抜かれるか?』だけのレースを30年前と変わらず続けている。

いつかは、知らぬ間に自分も先頭集団になってしまう事をイメージできないままに。。。




彼らは、今、どんな景色の中を走っているのだろうか?

先頭集団だった人たちはマラソンのゴールテープは切ったのだろうか?

肉体は時と共に老いて行くにも関わらず、止まることは許されず、今も走り続けるしか無いという状況に陥っていないか?

現実的には、一体どんな生活をしているのだろう?

その姿は、今になっても、『全く見えない。』と言っても過言では無い。

そんな事を考え、また、なんとなく未来が見えてしまった事で、またもや未来は不安になる。


弟子のユウタ(現在、上海)とYOSHIKI(現在、副店長)



そして、こう思う。

もし、私があの若い頃に戻れて、しっかりと先頭集団を目視できていたら、

『彼らと同じコースを選び、走るだろうか?』
『どんなコースで、どんなペースで、どんな走り方をしていたら、私は私なりの夢を描けるだろうか?』

と。


そんな事を考えながら、私は現在、第二集団あたりを走っている。

今の若い美容師は、30〜40歳前後の『旬の美容師』に夢を見ているし、50歳前後の美容師に夢を見ることは無く、全く興味も無い様だ。

あの時の私と同じようなことの繰り返している。

そうなると、同じく30年後には、今現在、憧れのイケイケの美容師は、60歳から70歳になり、今、目に入っていない50歳の美容師は、80歳ぐらいになっている。

若い世代は、同じ道を追いかけていて良いのか?

先輩である私たち世代が、若い美容師に与える夢とはどんなものなのか?


一番弟子の堀内(coyaのオーナー)の髪を切る。




私は誰よりも早くそれに気がつき、美容師としての『新しい生き方』を模索し、実体験してきた。という自負がある。

海外に進出したり、現在セミリタイアしているのもその一つだ。

ロレアル イノアギャングのフルメンバー


ここからがやっと本題だ。

私は、先輩達と同じコースを走るのを辞めた。

美容師としての未来の『道無き道』を新たに開拓しながら走る事にした。

それは私自身の人生の幸せの為でもあるが、若者達に夢を与える為でもある。

『美容師だからこそ』、どんなコースでも走れる。

若い世代にそんな姿を見せつけて生きて行きたい。

それこそが美容師の持つ最大の『可能性』だ。

美容師だからこそ『自由選択』ができる生き方が出来る。

美容師だからこそ、美容師をやりながら、他にも興味のある仕事も出来る。

目の前を走る先輩たちの姿だけに目を奪われるな。

私も、彼らも、まだまだ走っている途中だ。


先輩たちは途中でバテるかも知れないし、もしかしたら、今も間違ったコースを走っているかも知れない。

どれだけ正解である王道を走っていても、天候や社会の状況の変化によって、コースが荒れ狂う邪道に変わる事だってある。

重要なことは、獣道でも走り抜ける事ができる能力を身につける事だ。


人を美しく幸せにできる美容師の能力は、どんな道でも自由選択ができ、走り抜ける可能性がある。

だからこそ、美容師は素晴らしい。

私と同世代の美容師、そして一つ下の世代の美容師にお願いしたいことは、『今までに無いカタチで美容師の夢、憧れ、素晴らしさを伝えてあげてほしい。』という事だ。

『美容師って、結局、歳取ったら、ああなっちゃうんだな。。。』

なんて言わせない生き方をして欲しい。

その為には沢山の可能性にチャレンジし、その姿を見せてあげて欲しい。

若い頃にチヤホヤされていたジャニーズのあのアイドルも、50歳になったらああなっちゃうんだね。

なんて事を言わせたく無いし、思わせたくも無いよな?

そんな業界は、いずれ廃れていく。


『自由選択』出来る様になるまでの道のりは、確かに厳しくて険しい。

しかし、それを勝ち得たその姿こそが、真の『夢』の具体的なカタチ』なるべきだと私は思う。

娘の愛蘭と福岡に里帰り



結局のところ、何が言いたいかというと、私の歩んできた道、考え方、答えの出し方など、既に『自由選択』が出来る様になった私をもっと注視しなさい。

という事である。笑

ワイさんと北海道一周ツーリングの記念写真

長文、失礼いたしました。
来年もよろしくお願いします。

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