向き合えてる日々に愛を
私は四季の中で夏が嫌いだ。暑いし、ジメジメするし、鼓膜を突き破る勢いで叫ぶ蝉たちの共鳴をきけば頭がクラクラする。暑いし。
そんな、夏を毛嫌いしている私でも暑さを忘れるくらい夢中になれる唯一と言っていいほどの楽しみがある。
高校野球だ。
我が家では昔から夏休みに入れば、テレビは毎日高校野球。元々親子でプロ野球を応援してるというのもあるのか、特に理由もなくテレビは高校野球を放送している局を映していた。夏になるとなんとなく高校野球をみるという習慣が小さい頃から日常に溶け込んでいた。そんな”なんとなく“の気持ちで観ていた高校野球をここまで熱中して見始めることになったのは2021年の夏からだ。この年の前年、新型コロナウイルスの影響で大会は中止。まさに2年ぶりとなる夏の甲子園のテーマソングに大好きなアーティストの楽曲が抜擢された。
なにわ男子「夢わたし」
当時の正直の感想を言うとするなら「あんまりイメージと違うなあ」だった。(当時小6、どの面下げて物申しているのか)歴代のテーマソングと比べて疾走感はあまりなく、曲を聞いて甲子園の景色が思い浮かばなかった。
嬉しさもありつつ、複雑な気持ちを抱えながら大会が開幕した。今まで日中の試合しか観ていなかったが、好きなグループがテーマソングを歌っているということもあり、初めて熱闘甲子園も観ることにした。
衝撃を受けた。それが全ての始まり。
“エモい”という言葉では片付けられない選手の苦悩・葛藤、仲間との絆、家族との約束、アルプスで声を張り上げる応援団、悔し涙も嬉し涙も、全てが胸に突き刺さった。そして、選手一人ひとりの人生のストーリーを優しく包み込むかのように添えられた「夢わたし」。冗談抜きで毎晩泣いた。この曲のイントロを聴くだけで目に透明な膜が張るぐらい好きになれた。
この曲のタイトル「夢わたし」には2つの意味が込められているらしい。
「わたしの夢」甲子園で叶える私の夢。
「夢を渡す」去年、大会中止によって果たせなかった先輩から後輩に託された夢。
”夢“に向かって突き進む高校球児にぴったりのタイトルだと思う。
個人的に好きな歌詞
涙と喜びを分け合える、共有できる仲間がいる幸せ。一歩を進んできたのではなく、重ねてきたにすることで、前進できずとも立ち止まらなかった粘り強さを表現しているのではないかと思う。(以降の歌詞に「立ち止まる必要はない」と出てくる)
ボールで弧を描く願いも、願いに込められた希望の浮き沈みで描かれた孤の願いも、どこまでも飛んで欲しい。そう強く祈っている描写なのかなと考えた。
全高校球児が野球に注いだ時間は、今は報われなくとも糧となり、将来自分を照らしてくれるという意味が込められている気がする。
まさにチーム競技・野球の醍醐味。チームで繋いだチャンスやボールあってこその奇跡。甲子園への切符を掴み、チャンスを掴み、ボールを掴み、勝利を掴み、奇跡を掴む。奇跡に辿り着くまでの背景を“掴む”という言葉で表したこの詞はなんて天才なんだろうとサビを聴くたびに思う。
歌詞の中で「青春」というワードを“じだい” “ひかり”と読むあたり、「青春」の意味の深みが増す気がしてセンスがあるなあと感じる。
衣装にも注目しながらぜひ聴いてほしい。
この歌のおかげで高校野球の面白さを知り、以来本腰を入れて高校野球を観るようになった。あれだけ夏を嫌いながらも甲子園に何度も出向いた。友達と遊んでる際にも隙間をみて野球速報をチラチラ覗いたりもした。
今年の夏の甲子園は番狂せが多かった。特に印象に残っているのは、春に2年連続準優勝を遂げた報徳学園が初戦で負けたこと。大社旋風の勢い、すごかったなあ。
もちろん今年も毎晩熱闘甲子園で泣かされた。テーマソング決定時は「ねぐせ!?ずっと好きだから!?」と思ったりもしたが(デジャヴ)、球児の思いをこの曲に乗せて届けられれば「この曲ずっと好きでした!(大嘘)」となった。大会の日程が進むごとにこの曲もイントロの「ねえ、不思議に思うんだ」を聴いただけで目が潤うようになった。やっぱり高校野球のエネルギーはすごい。
京都国際のみなさん、初優勝おめでとうございます。
今回結果に報われなかった球児の方も絶対なんらかのカタチで報われてほしい。甲子園に出場した事実を胸に張ってこれからも頑張ってほしい。
来年私は高校生になる。ずっとみてきた高校野球に出場する選手と同じ世代のひとりとして、”観客“として大会に携わり、盛り上げていきたい。来年、真紅の大優勝旗が手に渡る高校はどこだろう。
2024年夏、100周年の聖地に愛を込めて。
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