看護師 英語 手芸 転職 独身 30代
はっきり言って、今回の転職は失敗だ。
30代は人生の土台を作るらしい。量より質ではなくて、質より量なんだって。本で読みました。
自分自身を振り返って、何が大切かを洗い出すのが大事ということを学び、ほんの二ヶ月前の無職の時にやったはずなのに、環境と心境が変わっているため一定の間隔を空けて、行わなければならないものなんだ。
なので、自分自身のために、今の好きなこと嫌いなこと得意なことを書いて、今までの自分を振り返ってみる。
好きなこと
編み物、何かを作ること
人と喋ること
誰かが良くなっていくこと
患者と家族が納得した状況を考えること
嫌いなこと
無責任な行為
意味のない行為
自分のことだけ考えて行動すること
自分の時間を軽視されること
興味がない話、違う価値観を長々聞くこと
得意なこと
人に優しく話すこと
好きなことはコツコツとできる
決めたら行動できる
掃除
そして私の経歴
高校生の進路を決める際、安定した職業は看護師という間違った家族の思想を押し付けられ看護学校へ行けと勝手に道を決められて反発。
英語が好きで、英語を学びたい。英語を学ぶだけじゃなく視野を広くしたい、という思いで家族を説得し晴れて外大の国際教養学科に入学。
外大卒 在学中にカナダ トロントに1年留学。寂しい思いもしたが全く違う環境で学ぶことは多かった。
1人暮らしの賃貸を退去して留学したため、実家から片道3時間かけて大学へ1年通い、卒業。
その間就活をして、挫折。
ある企業の説明会で担当の人が
「いいか、仕事っていうのはな。やりたいことじゃないんだよ。できることをやるのが仕事だ」
というネガティブ発言にハッとさせられる。
やりたいこと(英語に関わる仕事)じゃなく、できることをやるのか。
私は正直看護師になれば、職場に困ることはないと思った。医療の現場は大変なので、求人はあると思った。
看護師の家族もいないので、どんな仕事をするのか想像もつかないまま、大学卒業後に就職していく同級生とは別に、大手の病院の系列の看護学校に入学した。
そこは本当に軍隊みたいな場所で、犯罪者のような扱いをされる。まさに女のパワハラ、モラハラの温床。皆昨日まで高校生だった子達が同級生。夢や希望を持って看護師を選んで、高校を卒業したばかりの遊び盛りの子達には本当に自由がない、窮屈な場所だった。私はそんなに歳は変わらないが大学で遊び、やりたいことをやったため、この看護学校は諦めた生活、やりたくないことでも稼いでいくためにできそうな仕事、だった。そのため理不尽なことも色々あったがあんまり覚えていない。
学生生活も終わりに近づき就活となる。ただ、大きな病院の看護学校だったため、その病院以外に就職したいと言えば反逆者のような扱いを受けるのだった。私は就活がしんどいことを分かっていたので、まあいいか、という気持ちでそのまま大きな病院に就職した。それが6年前。
そこがまあ大変で、私は胃炎を発症した。そしてストレスに耐えられなくなり、春に退職。就職先を決めずに無職を謳歌し、noteに綴ったりもした。
私はまだ若いので、本当にツラくて何も決めずに無職を選び、無職生活も2ヶ月ほどしたら今度は働いていない自分が不安になってくるのだった。
環境を変えて看護師をするのか、はたまた好きな手芸をアルバイトにするのか。
正直手芸は大好きだけど、ずっとし続けられる自信はあるけど、お金を稼ぐことなんて私にできるのか。せっかく看護師免許を持っているんだから、看護師続けた方がお金を稼ぐという意味で賢明なんじゃないのか。そう思って、何となく登録した看護師転職サイト。あれよあれよと面接が決まり、7月から就職が決まったのだった。
なんで私が今この段階で、自分の好きなこと嫌いなこと得意なことを挙げていっているのかというと。新しく入った病院が最低だったから。いわゆる転職失敗というやつで。無職でやる気がない中で、転職活動するとロクなことにはならないんだな、私の経験不足で見る目と選ぶ視点が悪かったんだなと、反省する。
この本を読みながら、自分の人生における段階を勉強して、実践していきたいなと思ってます。
今はまた、英語の勉強もしたいな、なんて思いながら、この病院から抜け出したいなと、思ってます。