新宿に巨大な浄水場があったのを知っていますか?
その浄水場の名前は淀橋(よどばし)浄水場といい,現在では都庁や新宿中央公園となっています.
ちなみに,ヨドバシと聞くと新宿西口のヨドバシカメラが浮かびますが,新宿駅周辺は1947年までは新宿区ではなく淀橋区でした.
では,具体的にどこが浄水場だったのでしょうか.それは下図の通りです.
結構広い範囲で、現在の都庁・新宿中央公園・京王プラザホテルなどがある場所ですね.
この周辺を歩いたことのある方ならお気づきかもしれませんがどこが地上なのか分かりにくいですよね.これは浄水場跡地の大きなプールの名残なんです.7mもある高低差を,全部埋めて更地のようにすると大変お金が掛かるのでこのままにしたと言われています.
当時は,マイカーブームでもあり渋滞がひどかったことから「自動車対応社会」を目指して西口の地下ロータリーを作ったためにロータリーから延びる道路は歩車完全分離となり,道路と(動く)歩道には壁が作られました.
この「自動車対応社会」を目指したために,ビルには多くの駐車場を設置しなければならなりませんでした.しかしながら,現在はその駐車場の稼働率は50%を下回っている(正確な稼働率は非公表)とも言われています.
さらに,新宿中央公園まで歩くと結構時間がかかりますよね.これも,新宿駅から徒歩ではなく自動車で向かうことを想定しているためなのです.
当時の計画と,現在の新宿の姿はだいぶ異なっているのでしょう.したがって,当時の計画どおり自動車で新宿西口付近へ行くと意外と利便性が高いことに気づくことと思います.
なぜ,淀橋浄水場が廃止されてしまったのか?
浄水場廃止の話が挙がったのは1958年です.当時の人口が増えすぎてしまったため,新宿を再開発して人口を分散させようとしたのです.
そこで,政府は1958年に「第一次首都圏整備計画」を発表し,人口と産業の過密を避けてうまく分散させることを目的として,新宿・渋谷・池袋を副都心として位置づけました.これによって,過密に集積した丸の内・新橋・赤坂などのオフィス機能(都心機能)をうまく分散させようとしたのです.
一方で,1964年の東京五輪に合わせて首都高の整備計画もこのとき同時に出されたようです.
ちなみに,当時(1958年)から現在にかけて他4か所が副都心として指定されており下の図の通りです.都心3区から分散されるようになっているのがわかります.
新宿が副都心に位置付けられてから,1965年に広大な淀橋(よどばし)浄水場が廃止され,再開発が行われたのです.浄水場の機能は東村山浄水場に移管されました.
現在の西新宿の様子です.浄水場があった頃とかなり異なり高層ビル群の中に新宿中央公園があるのが分かります.
以上,最後まで読んでいただきありがとうございました.