アメリカから見た長崎原爆
1945年、8月9日、11時2分。
長崎に原子爆弾が投下され、79年が経過した。
長崎で生まれ育った後、アメリカに移った自分はこの原爆投下という出来事を日米双方の視点から考えることができる。
それと同時に、近年の荒れ狂う世界情勢において世界平和を実現するために、この貴重な経験をより多くの人に伝えていく義務があると感じている。
今回は、アメリカから見た長崎原爆について話をする。
※ここではあくまで、私がこれまでに出会った数千人のアメリカ人との交流を踏まえた上での主観である、という前提で話を聞いて頂きたい。
私がアメリカに移り、アメリカの視点から原爆投下の事実を学び始めて4年目になるが、いまだに多くのショックを受けることが沢山ある。
そもそも、長崎への原爆投下の歴史を知っている人の数は自分の予想を遥かに下回っていた。
アメリカでは初めて会う人に地元の場所を聞く文化があるが、私が日本の長崎出身と伝えても、ほとんどの人がまるで初めてそのNagasakiという地名を聞くような顔で私を見てくる。
その度に私は悲しい気持ちになるが、残酷なのはまだまだこれからだ。
中には、Nagasakiというワードに対して”Bomb City” (爆弾の街) と言って馬鹿にしてくるような人たちもいる。爆弾が落ちる音を真似したり、キノコ雲が面白いと言って笑ったり、当時被爆して苦しむ人々姿を写真で見せて嘲笑う人たちも沢山目にしてきた。
では一体なぜこんなことがアメリカで起きているのだろうか。
その答えは教育にある。
アメリカで教員を志望する私は、実習で多くの学校に赴き実際にアメリカの教員や子どもたちと接する機会が多くあった。
そこで私が感じた答えとして、
1. そもそも日米戦争を学ぶ機会が少なすぎる
2. その大人たちによって誤った事実が教えられる
の2つが挙げられる。
まず、1つ目の要素に関して、こちらでも歴史の授業で第二次世界大戦について教えられるがその内容があまりにもあっさりし過ぎている。戦争が起こった理由や内情、苦しんだ人々の姿ではなく、ただ淡々と起こった事実だけが述べられていく。私が日本で学生だった頃に教わった事実の大半が教えられることもなくスルーされていく現状に大きな違和感をおぼえた。
また、せっかく授業内で日米戦争について触れられたとしても、多くの誤った情報が生徒たちに教えられている。実際に私が目にしたのは、
"日本が100%悪い"
"日本が先にちょっかいをかけてきた"
"戦争に勝った私たちは誇りである"
のような事実が無慈悲にも語られていた。
歴史に詳しい方ならご存知だろうが、双方が起こした戦争にどちらか一方だけの責任ということはあるはずがない。
また、アメリカの日本への石油輸出禁止や原爆投下の判断を踏まえて、それが正しい決断であるはずもない。
私はそこで "世界で戦争が絶えない本当の理由" を実感することができた。
これからの世界を担う若者たちが、歴史の過ちを犯した大人たちによって都合の良いように事実を隠されたり、捻じ曲げられたりして伝えられる。この一種の洗脳とも言える行為こそが未だに世界で戦争が起こり続ける原因であると私は思う。
では一体私たちに何が出来るだろうか。
"世界の平和を願う"
そんな甘い考えではこれから先の未来は何も変わらない。
私たちに出来ることは、ただ願うのではなく、実際に行動に移すことである。
歴史を知らない人には正確な事実と出来事を伝える。誤った考えや他者を害する意見を持つ人には、それがいかに危険かを伝え、適切な対処をすること、これらが私たちには求められる。
長崎で生まれ育った私は、幼少期から原爆を体験した方々や祖父から話を聞き、長崎原爆への特別な思いを抱いている。それと同時に、私はこれをより多くの人たち伝えていかなければいけないという責任を感じている。
実際に私はこの夏、実習先の歴史の授業で担任の先生の許可を貰い、生徒たちに長崎原爆の歴史とその恐ろしさを伝える貴重な経験をした。先生や生徒たちも初めて聞く話に最初は困惑していたようだが、話をするにつれ、原爆投下への理解を示し始め、最後には感謝の言葉を私に伝えてくれた。
しかしながら、これは稀な成功例である。長崎出身である私は、このアメリカという土地では多くの生きづらさを感じる。
長崎出身であるということを伝えたと同時に、笑い出す友人やそれに被せるかのように原爆投下を嘲笑う人たちにも多く出会った。
渡米当初は彼らに怖気づいて何も出来ない私であったが、これではいけないと思い、今ではきちんと自身の考えを相手に伝えるようにしている。
ここで大事なのは、ただ怒りをぶつけるのではなく、相手の背景を理解した上で、ではどうしてあなたはそう思うのか、実際に私たちが経験した苦しみを伝え、それについてどう考えるか、など冷静に対話を重ねることである。
もちろん嫌われる可能性がある勇気のいる行動であるが、私は長崎出身である責任を全うするために正しい知識をより多くの人に伝えている。
行動を起こすことで初めてそれが他人に影響を及ぼし、それが世界へと広がっていく。
これこそが世界平和への第一歩だと考えている。
最後に、私がnoteで毎年言っている言葉を紹介して終わりとする。
広島が世界で初めての被爆地であることは紛れもない事実であるが、長崎が世界で最後の被爆地になれるかどうかは私たちの努力次第である。
世界平和のために私たちに出来ることは、ただ世界の平和を願うのではなく、実際に行動を起こし、他者を、そして世界を変えることにあるのだ