くいしんぼう仮面自叙伝【16】大阪プロレス編2(デビュー30周年記念本販促)
1999年4月29日大阪門真なみはやドーム大会(大阪プロレス旗揚げ戦)で鮮烈デビュー?を果たした。
それから東北で何試合かして最終戦は後楽園ホール2days (バブリーやったな)だった。
前団体では2年くらいノーギャラだったからプロレスで久しぶりにギャラもらえてめっちゃ嬉しかった記憶がある(確か旗揚げシリーズは9万円くらいもらえたかな。次シリーズでギャラアップもしてくれた)
当時は大阪まで実家の徳島から高速バスで通っていた。(2年くらい)
旗揚げシリーズが終わり東北シリーズを経て毎週末の定期戦が始まる。(土曜は梅田のアムホール、日曜はなんばNGKスタジオだったと思う)最初の2年間は所属契約ではなくフリー契約だったので平日は徳島でアルバイトなどしていた。
姿形は変わってしまったが毎週末試合があり、少し専門誌に載ったりする事がとても嬉しかった。関西のメディアに頻繁に露出して知名度もかなりアップしたと思う。地元の同級生は僕がプロレスやってたの知らない人が多かったんやけど、大阪プロレスでくいしんぼう仮面やってると言ったらえらい驚いてくれたな。
くいしんぼう仮面を語る上でやはりこの男の存在は無視できないであろう…初代えべっさん(現菊タロー)。。
彼とは18歳の時に屋台村プロレスで試合し、そしてIWAジャパンプロレスでも何度か試合した。しかし最初試合した時から彼のほうが一枚、二枚上手であった。それから月日が流れ…くいしんぼう仮面デビュー戦から遅れる事3ヶ月後に彼もまた姿形を変えて、えべっさんとして参戦してきた。次こそは負けんぞという気持ちになったものだ。
プロレスキャリアもほぼ同じ、年齢もほぼ同じ(俺が一個上)いつしか2人の試合は大阪プロレスの名物カードになっていく。
やはりプロレスにはライバルは必要だ。ライバルは同じキャリア、同じ年齢というのが理想だねぇ。
そして当時くいしんぼう仮面は全く言葉発しないキャラで対する初代えべっさんはめちゃめちゃ喋るキャラ。それがまた良かったのかね。今振り返ると…ライバルなるには良い条件が揃いまくってたと思う。
初代えべっさんの登場で大阪プロレスでの居場所をしっかりとキープ出来た。
参戦して約1年後にはフリー契約ながら月給制にしてもらいアルバイトからも卒業できた。(調子に乗って車を新車で(ローン)購入した)
とにかく大阪プロレスに入り、くいしんぼう仮面になることで人生がガラっと変わったのだ。
この時は未来永劫この状態が続くと思っていたのだが…
つづく…