花束みたいな恋をした
マグさんとみた!!あーーーー!!!!
べびわる2
べびわる2には2人が花束を見るシーンがあって、花束の二人がプロポーズするところをベビわる内で何回もいじるんだけど、そのシーンの質感を確かめるために見ることになった。時計仕掛けのオレンジみて雨に唄えば見てないのに…
結果としてべびわるって…になりました。やりたいことだけしていたい怠惰な2人だけそもそも彼女たちは自分の身の丈にあう仕事をしているのが大前提で、理想を追い求めてはいないんですよね。もちろん不労所得あたりの理想はあるだろうけど、本気だろうけどその夢に身をやつしたりしないだろうし…。
構成的にはグリーンインフェルノと同じ
前半の行動が後半で因果応報として返ってくるけど、前半の罪も後半の因果応報も監督の倫理観が独特すぎて「えっそんなに????」ってなる。という点でかなりグリーンインフェルノだった。
前半の罪の部分。つまり私やマグさんをはじめとしたそのへんのオタクを全員殺しにきてたサブカルパートはラストの展開を思えば全てが必要だし、ディテールとしてこれ以上なかったし大切だし、愛していきたい、その辺のオタクのためにも…!!!!
でも知らずに見せられてた時間の憎悪の方がギリ勝つね!!!!!
そういう映画でもある。
憎悪っていうかぁ…そんな丁寧にこっちを認知しないでくれみたいな気持ちが強い。人の本棚をみて「私の本棚じゃんこんなの!!!」と喜ぶシーンとか「早く殺してくれ」と思っていた。そう!私は本棚に人柄が出ると思っているタイプのオタク!!!
絹ちゃんは悪くないじゃないですか。つまりその、他人が自分と同類であるかどうかを「本棚で」確信する姿にズタズタにされてるんですよ。たかが読書歴なのに!!!自分を構成する一部でしかないのに!!!あーーーーーーそう、仮に他人を読書歴で判断するとしたら大切なのは何を読んでいるか?ではなくそこから何を思うか?です。自戒。
というか、サブカルの排他的な感じがうますぎる。よくない方のやつ。サブカルチャーはメインストリームではない。くらいの意味でしかない(実際、流行り廃りはタイミングとか環境なので大した自我がないから)けど、それを「こっち側を解さない奴ら」くらいで受け止めていたと思う。
流行るべくして流行ったものは相応の背景があるし、ちゃんと向き合えばどんなものだって素晴らしいよねみたいなことをさ!!サブカルオタクなら思っていろよ!!!なに楽しくないパーティでグリーンのキセキを流してるんだよ(演出です)。
麦と絹が常に自分たち以外の人物を『つまらないやつ』と思っているのが嫌なのかもしれない。出版社から出てる本が被っているくらいで喜ぶなよ、Twitterで不定期連載の小説ツリーが被ってから大喜びしろと思っているだけかもしれませんが…。
私はとにかく読んでる本の種類とかで切れてたけど、ピンとこないサブカルの方が多かったので全体的に殺していっていたんだと思う。それらの嗜好が全て「私たちはこれがわかる側なので」で回収される丁寧さもすごかった。
何かを好きでいる時に周りを見てから安心して「これを知っている自分」に浸っているような挙動を2人がしているのが暴れたくなった原因だと思う。彼らがイラストレーター志望とラーメンブログ運営者だけならこんなこと想わないし、なんならこの二つは彼らにっとて外に影響されずに生み出した自分だったように思う。
特別ではない
就職してから面白いように崩れていく2人の生活のパート、しっかり半分の尺があるのどうかしてるでしょ。
お互いがお互いにとって「つまらない人間」になっていく。相手の好きだった部分が相手の本質ではないと向き合わなくてはいけなくなる。確かに愛されていたのに、もうそうではないと認めなくてはいけない。が波のように襲ってくる後半戦だった。
しかも、同棲してそうなったわけじゃないんですよね。お互いが社会を見て価値観が揺らいだ末にそうなるんですよね。社会に出て、こいつは自分の側ではないんじゃないか?とおもい始めている。「世間的に男女が一緒にいるためには結婚しないと」と思う麦くんも、「セックスしてない恋人ってなに?」と思っている絹ちゃんも等しくコミュニケーションを怠っている怠惰な人間なのにね。
だからべびわるで流れたカッコ悪いプロポーズシーンがね、カッコ悪いんでっすよね。傲慢で消極的だからさ…。というか、隣にいるために結婚しようよ、はカッコ悪くないじゃないですか。カッコ悪いのは、あれだけ運命と自分だけの選択だけを愛してたくせにそれを選ばないことを「当然」だとしてた彼が自分の価値観でプロポーズしないことと、目の前に現れた選択肢を愛してることに誇りを持ってた彼女が自分の行動が招いた結果を受け入れてないことなんですよね。
だから結婚式の後のラストシーンは迫力があった。
恋じゃなくて愛になったんだよ!と訴える麦くんに首を縦に振らない絹ちゃんの前に自分たちみたいな大学生カップルが追い討ちのように現れるの、後半の幸せではない同棲シーンより罰だった。
自分たちにっとて彼らが特別ではないように、自分たちも他人から特別ではなかったとわかってしまうし、何よりあの時間を担保にしてそばにいたのにお互いが「あの時間は終わったんだ」っていってしまったから続かなかったんですよね。でもあの時間が幸せだったことだけは確かだからファミレスの前で2人で泣くしかできなくて…。
あまりの評価に忌避してたんだけど、めちゃめちゃいい映画だった。いいじゃん!!!過去との決別と思い出って今と地続きんはずなのにねっていう寂しさに対いして誠実だった。2人が家族にはなれずに別れたから「花束みたいな恋をした」って過去形なのもめちゃめちゃ綺麗だったと思う。
楽しかった。やっぱりなんでも見た方がいい。それはそうとこれって予告だとかなりデートムービーの顔してるんですけどいんですか??それとも私が知らないだけでカップルってこれを乗り越えるんですか??