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高適「除夜作」 & 王安石「元日」
今年も残りわずかですね。季節にちなんで「除夜」の漢詩と「元日」の漢詩を読みます。
唐・高適の「除夜作」と、北宋・王安石の「元日」です。
季節にちなんで、と言っても、漢詩はすべて旧暦ですので日本の暦とはズレますが、まあその辺はあまり気にせず。
唐・高適「除夜作」(除夜の作)
旅館寒燈獨不眠 旅館の寒灯 独り眠らず
客心何事轉凄然 客心 何事ぞ 転た凄然
故鄕今夜思千里 故郷 今夜 千里を思う
霜鬢明朝又一年 霜鬢 明朝 又一年
旅の宿で寒々とした灯を前に、独り眠れぬ夜を過ごしている。
異郷に身を置くわたしの心は、なぜか知らずいよいよ物悲しくなるばかり。
今夜は千里の彼方にある故郷がいっそう恋しく思われる。
白髪頭のわたしも、夜が明ければまた一つ年を取るのだ。
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大晦日(旧暦)の夜を故郷から遠く離れた旅先の宿で過ごす感慨を詠じた詩です。
「旅館」と言っても、旅行をしているわけではありません。官吏ですから、地方への赴任の道中と考えられます。
古くは数え年で年齢を数えました。元旦を迎えると、誰もが一つ年を加えることになります。
中国の伝統的な風習では、大晦日の夜は、家族みなが一晩中眠らず、ご馳走を囲み酒を酌み交わしながら、賑やかに新年の朝を迎えました。
本来はそうして一家団欒で集うはずの時節だからこそ、独り旅空で大晦日を迎え、老境にまた一つ年を重ねようとしている状況に、よりいっそう寂寞の念を募らせているのです。
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北宋・王安石「元日」(元日)
爆竹聲中一歳除 爆竹声中 一歳除す
春風送暖入屠蘇 春風 暖を送りて 屠蘇に入る
千門萬戸曈曈日 千門万戸 曈曈の日
總把新桃換舊符 総て新桃を把りて 旧符に換う
爆竹の音がけたたましく鳴り響く中、一年が終わった。
年が明け、春風が暖かさを屠蘇の杯に吹き込んでくる。
見渡す限り無数に建ち並ぶ都の家々に元日の陽光が射し込む頃、
人々は古い護符に換えて、新しい桃木の護符を戸口に掛けている。
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「元日」と題するいかにも正月らしい風情の詩です。
爆竹は、元来は、魔除けのためのものです。春節(旧暦の正月)になると、魔物が山から人里に下りてくるので竹を燃やしてパチパチと音を立てて追い払ったと言います。のちに、竹に火薬を詰めるようになり、宋代には現代と同じ紙筒の爆竹が作られるようになりました。
旧暦の正月は、西暦より約一ヶ月余り後になります。爆竹が鳴り響く除夜の賑わいが過ぎ去り、いざ正月を迎えると、季節はもう春です。
「屠蘇」は、邪気払いの薬酒。正月に一家揃って飲んで無病息災を祈る風習が古くからあります。
「新桃」は、桃の木で作った新しい護符。桃もまた邪気払いのアイテムで、伝統的には、一対の桃木の板に門神の名「神荼」と「鬱塁」を書き付けたり、門神の像を描いたりした桃符を戸口の両脇に掛けて魔除けとしました。
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この詩は、「爆竹」「春風」「屠蘇」「新桃」と、元日の風物が存分に盛り込まれた佳作としてよく知られています。
なお、この詩は、単なる正月の風物詩ではなく、政治的な寓意が込められているという説があります。
王安石は、新法党の領袖として活躍した政治家です。国家財政の疲弊を救うために数々の改革を断行し、司馬光ら旧法党と権力争いを繰り広げました。そこで、この詩にも「旧」を除いて「新」を迎えるという寓意があるという説です。
日本人が漢詩を鑑賞する時、政治的に解釈するのは野暮、雅趣を損なう、と考えがちですが、中国の古典文学は、政治と切り離して解釈することができません。
「文学は政治の道具」という伝統的な考え方があり、そもそも詩人のほとんどが役人です。ですから、一見ただの叙景詩や風物詩に見えても、その裏に作者の政治的立場が反映されていたり、政治に対する批判や諷喩が込められていたりということが多いのです。
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*ヘッダー画像: 清・姚文瀚「歳朝歓慶圖」