十二本目 『背負投による肘関節損傷の予防方法の提案』
今回の"DJM"では背負投による肘関節損傷の予防方法について自分なりの考えをまとめていきます。
それでは参りましょう。「はじめ!」
この記事を書こうと思った動機
これまで背負投を練習してきた柔道家の中には同じような問題を抱えている方も少なくないと思いますが、僕自身も今現在、右肘に爆弾を抱えている状態で不意に肘関節に負荷がかかると肘の内側の靭帯に激痛が走り、まったく力が入らない状態になります。
いつからこの痛みを自覚するようになったのかというとおそらくドイツで柔道をするようになってからだと思います。というのも、ドイツでは同じ階級でも自分より背の高い相手と練習や試合をすることが増え、対策として本格的に背負投を練習しようとしてからの出来事です。
日本で練習していた学生の時も背負投の打ち込み・投げ込みなどはやっていましたが、得意技でもなかったのでそこまで背負投について考えたことはありませんでした。
しかしこちらで背負投の回数を重ねるごとに痛みは増していき、あるときまったく力が入らなくなるようになりました。肘に違和感を覚えた頃は「筋力が落ちてきたからかな?」とか楽観的な考えをしていましたが、今考えれば昔から思いっきり自分の肘に負担をかけた背負投をしていたことが原因でした。
そして指導者となった今、これからキャリアを積んでいく柔道家達が同じ轍を踏むことがないように今回の予防方法・技術を考えました。
特に若い柔道家や初心者の方は、まだまだ身体や筋肉も発達段階にありますので怪我や障害がないように気をつけて指導する必要があります。もしも同じように肘の痛みで悩んでいる選手、もしくはそんな選手を知っていてどう指導すべきかお悩みの指導者の方がおられましたら、ぜひ参考にしてみてください。
スポーツ解剖学的視点からのアプローチ
まずはじめに、背負投をかける時に関わる釣手の関節について考えてみます。
腕には肩・肘・手首の三つの関節があり、各関節はそれぞれ異なった形と役割を果たしています。右腕の関節の種類と動き方を記した図を添付しているので参照してください。
⑴肩関節
肩関節は球状の関節頭が皿状の窪みにはめ込まれている形状の関節で、前後左右回旋の多方向への動きを可能とする球関節から成ります。3つの動きの軸があり広い可動域があるのが特徴です。
⑵肘関節
肘には3種類の異なった関節が接合しています。
①肘の曲げ伸ばしを可能にする蝶番関節
②前腕部の内外旋を可能にする車軸関節
③上記の2つの関節の可動を安定化させる球関節
これらの関節が複合的に作用しているのが肘関節になります。
⑶手首
手首の関節は、屈曲と回旋の二つの動きを同時に可能にする楕円関節があります。
動きは球関節とも似ているのですが、球関節が多軸性の関節であるのに対しこちらは縦軸と横軸の屈曲が可能な2軸性の関節となります。
この辺は僕も専門家ではないのであまり詳しくありませんが、とにかく2パターンの動きしかない2軸性の関節より、他方向へ動くことが可能な多軸性の球関節の方が可動域が広いと覚えておけばいいと思います。
このように、異なる関節の複合的な機能で腕を前後左右の曲げ伸ばしたり、回旋をすることが可能になります。
それではここからは肘関節に焦点をあてて怪我の原因についてもう少し考察していきます。
肘を痛める原因とは?
おそらくほとんどの人が背負投で肘を痛める時、釣手の内側の靭帯(内側側副靱帯)を損傷していると思います。この原因は肘関節の機能を理解していると簡単に推測できます。
先ほどの図の❸を見てもらうとわかるのですが、肘の内側には蝶番関節という1軸性の関節しかありません。これはつまり、肘の内側の関節は前後の曲げ伸ばしのみできるということです。
それに対して肘の外側の関節には、❷にあるような回旋を可能にする車軸関節と、❸の奥側の関節のように球関節があり、理論的には1軸性関節のみの内側に比べてかなり可動域が広いことが想像できます。
つまり、肘の内側に本来動けない方向への力が加わった時、つまり側方への屈伸や回旋を促す力が加わった時に、その関節を補助している靭帯に負荷がかかり怪我の原因となるわけです。
でも肘は他方向に自由に動かせるよね?
そうです。肘はけっこう自由にいろんな方向に動かせます。しかしこれは本来動かせない方向に力が加わった際には、肩関節や手首の関節がその力を受け流すように可動することで肘への負担を軽減しているのです。
しかし背負投の時の釣手の状況がどのようか一度考えてみてください。手首や肩は道衣の握りや相手の身体とのコンタクトを介して固定されており、肘への負担を受け流したくても受け流すことができない状況にあります。
つまり背負投に入った時の腕の位置が悪ければ、肘に相手の体重をもろに受けてしまい靭帯や関節に負担をかけるということになります。
なんとなく怪我のメカニズムが理解できたでしょうか?
これが理解できれば解決策を見つけるのはだいぶ簡単になりそうですね!
理想的な釣手のポジショニング
さて怪我の原因のメカニズムを理解したところで次は肘に負担をかけないための釣手のポジショニングについて考察していきましょう。
なぜはじめに技の入り方ではなく、このポジショニングについて考えるのかというと、最初に目標設定をすることで、その目標までの道筋が立てやすくなるからです。
とにかくまずは以下の二つの背負投の釣手のポジショニングを比較してみます。
⑴肘の位置が肩よりも前方に位置し、腕の関節が外旋しているので釣手の親指が上を向いている。
⑵肘の位置が肩よりも後方に位置し、腕の関節が内旋しているので釣手の親指が下を向いている。
腕の関節の内旋・外旋の定義ついては以前の記事で少し触れていますのでこちらも参考にしてください。
この二つの背負投を比較してどちらが肘を痛めやすいか、お分かりの方がほとんどだと思います。もちろん⑵の背負投です。
基本的に背負投を安全に行うためには、⑴のように技に入った際に釣手の肘が自分の肩よりも前方に位置している、かつ腕の関節が外旋している状態であることが必要だと考えています。
ではなぜ⑴の形の背負投の方が肘の故障のリスクが少ないと言えるのか。ここで思い出して欲しいのが、肘の内側の関節の機能についてです。先ほど書いたように肘の内側には蝶番関節という曲げ伸ばしの動きを可能にする機能があります。
そして⑴の背負投のように手の甲が前を向くように技に入ると釣り手の前腕の外側に負荷がかかります。これは肘の可動域の延長線上にかかる負荷、つまり肘の屈曲を促すような力が前腕にかかります。この屈曲の動きというのは肘の機能に本来備わっているものなので靭帯への負担はほぼありません。
それに対して⑵の背負投では、手の甲が後ろを向いていて、前腕の内側に負荷がかかっています。これは本来前後の曲げ伸ばししかできない肘にたいして肘から先を外側に曲げようとする力が加わります。もちろん肘関節の構造上不可能なので、それを支える靭帯に負荷がかかります。この肘の内側側副靱帯への負荷の蓄積が、故障の原因となりえるのでないかと考えられます。
文章ではかなり伝わりづらいかと思いますので今回は動画も用意しています。この記事をもう少し読み進めると動画のURLがありますのでそちらの方も確認してみてください。
腕を親指が上側に来るように真横に伸ばしてもらって、親指が後ろに行くように関節を回旋した状態を外旋と定義し、実行した場合、肩の球関節の部分がぐーっと前に出て来る感覚があると思います。その状態で関節を固定し肘を曲げると背負投の釣手の形が出来上がります。
⑴写真の手が示すように親指が上だとGood!!!👍
⑵の写真のように下を向いているとBad...👎です。笑
この手の形から⑴をグッド背負投👍、⑵をバッド背負投👎と勝手に命名して教えています。
このようにビジュアルと言語、つまり視覚的情報と聴覚的情報をリンクさせることで、技や解剖学の難しい原理がまだ理解できない初心者や子供でも正しい技のイメージが持ちやすくなると思います。
これで背負投の理想的なポジショニングが定義付けできました。次はそのポジショニングというゴール地点(中間地点?)までに、どのような道筋を通って辿り着くことが望ましいかについて考察しましょう。
野球選手から学ぶ腕の回旋技術
正しいポジショニングがわかっていても、そこにたどり着くにはやはり工夫が必要になります。そしてその答えとなる技の入り方のヒントを得るためには時には回り道も必要です。
ということで別の視点から物事を考えるために、柔道と同じように肘の故障が起こりうる野球について調べてみました。一番肘や肩を酷使するポジションはやはりピッチャーでしょう。では野球のピッチャーは肘の故障を予防するためにどのような技術を駆使しているのでしょうか?
一般的に野球選手が肘を故障する原因は、力強くボールをリリースする瞬間に指先を伝って肘関節に大きな負担がかかることが挙げられます。しかし故障せず、かつ最大限の力をボールに伝えることができる野球選手はテイクバック→スイング→リリースの動作中に、うまく関節の回旋と体重移動を利用しながら勢いを殺さないスムーズな投球を行っています。
この原理を柔道の背負投に応用できれば、肘に負担をかけることなくさらに効率的な技がかけられると考えました。
腕関節の回旋を使った背負投の入り方
では右前回りさばきの背負投で、肘の内側側副靱帯にできるだけ負荷をかけずに背負投に入るための手順を釣手に焦点をあてて説明します。
①利き足(右足)を前に出すと同時に釣手の親指を自分に引き付けながら肘を外に振り上げるように腕を内旋させる
②軸足(左足)を後ろ交差させ、回転を始めると同時に肘を自分の体の近くを通すようにしながら腕を外旋させる
③肘の振りを活かして目標とする位置まで釣手を持っていきながら腕の外旋を完了させる(肘の位置が肩よりも前に出て、手の甲が前を向いている=親指が上を向く)
こうやって文字だけで書かれても伝わりにくいと思うので動画を撮りました。下のリンクから実際の動き方を確認してみてください。
少しは伝わったでしょうか?
動画では説明を忘れていたのでいくつか補足をすると、釣手側の肘が自分の体から離れるほど自分の体の回転軸が外に広がってしまい、体の回転が遅くなります(=早く回転するためにより大きな力が必要になる)。
しかし動画のように肘を体に近づけると、体の回転軸が小さくなりコンパクトで素早い回転が可能になります。少ないエネルギーで効率的に回転できるということですね。
そして回転が速くなればなるほど回転軸の安定性が増すので投げる時にバランスを崩しにくくなるというメリットもあります。これをジャイロ効果と言うそうです。
ちなみに物理は専門外なので間違ったことを言っていたらご指摘ください。
この入り方だと腕の力で投げるのではなく、体幹の力を使って技をかけることができるので、肘への負担がめちゃくちゃ軽くなり、背負投をかけた時に肘を痛めることがなくなりました。もしも一時的な対策として釣手をやたら低くもったり、片襟で打ち込み・投げ込みをしているという方がおられましたら、一度今回紹介したグッド背負投👍を試してみてください!
ちなみにこの動画は限定公開となっているので、もしもSNSなどで拡散してくださる方がいらっしゃいましたら動画のURLではなく、このnoteの記事のリンクを貼り付けていただけると嬉しく思います。(文字と映像と両方の情報で理解した方が効果的だと思うので。)
最後に
肘を痛めて背負投をあきらめる選手はけっこういると思います。しかしそれはほとんどの場合、間違った釣手のポジショニングや腕関節の回旋が使えていないことが原因で起こると考えられます。
そうなれば「他の技を極めればいいや。」とか、「違う技をやらせればいいや。」と考えることもできますが、結果的にその選択が自分や選手の可能性を狭めてしまうかもしれません。
しかし正しい技を正しく理解し、正しく練習すれば怪我のリスクは限りなく少なくすることができます。僕自身が肘を痛めたからこそ、背負投に対して真剣に向き合い、考えることで一つの自分なりの答えが出せました。
何百・何千の選手でこの指導法を試し、その後の経過を観察研究したわけではないので、もちろんこれが絶対に正しいとは言い切れませんが、これからキャリアを積んでいく柔道家達が生涯に渡って、不必要な故障をせず安全に柔道ができるようにと願いを込めまして今回の記事を書かせていただきました。
今の時代はインターネット上に莫大な情報が溢れているので、たくさんの知識を簡単に手に入れることができるようになりました。しかしそれはある情報に対して無限とも言える解釈を目にするということでもあります。なので僕の紹介してきたこの解釈も、ある視点からの無数にある解釈のひとつです。
しかしインターネットや本、または他の柔道家の先生方から得た知識を自分なりに咀嚼し、その知識を組み合わせることで自分オリジナルの考えを導き出すことができました。このように知識として情報を受け取るだけでなく、その情報をもとに思索することで得られる「知恵」こそが今後の自分を大きく成長させてくれるんだなとこの記事を書いていてふと思いました。
ともかく、「そんな当たり前の技術今さら言われんでもとっくに知ってるわ!」と言われるかもしれませんが、少しでも多くの肘の故障で悩んでいる柔道家の皆様に希望を持って柔道を続けてもらうためにも、ぜひ記事の拡散をしていただければ嬉しく思います。
今回も長々と書いてしまいましたがご高覧ありがとうございました。
それまで。ではまた!
参考文献:Thorsten, Gehrke. (1999). SPORT ANATOMIE: Rowohlt Taschenbuch Verlag GmbH.
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