アンサングヒーロー 劣等感とは何のため?【回復体位を学んだ日】
私は休日初めていくイオンに出かけていた。
帰り、タクシー乗り場の前を通る。
ん?
服装的にインフォメーションのお姉さんと思しき方が、唇が真紫で硬直気味にベンチに横たわる女性の首を支えて顔をペチペチとしている。
大丈夫ですか?
と問いかける、そのお姉さんの目が小刻みに動いている。
「あ、この人、どうしていいか分かっていない」 こう自分が言葉で実感できたのはすべてが終わった帰り道だった。
とっさに「なにかしましょうか、救急車呼びますか」と聞いている自分がいる。
「じゃあ、お願いします」の声を聞いて間もなく
救急は119か110か、すらすぐに判断できなかった。そばにいた級友に聞き、電話。
次々聞かれる
場所(入口)
呼吸の有無
反応(眼球、返事など)
目だけ動いてる、呼吸してるかなんて分からない…
横を通り過ぎようとした休日の救命士さん、車で通りかかった看護師さんが近付いてきてくれ
すぐに状態を伝えてくれる。
この状況に、私は涙が出そうになっていた。
未だに形容はできないけれど胸にグッときた。
他にも何かしますか?と声をかけてくれた方もいて…今救急車を呼んでる、救命士さんもいるから大丈夫と伝える。
・脈
・横に向けようとの判断
・身分証の有無(救急隊へと渡すため)
・身体にポンポンと触れ、
名前が言えるかの確認
よく見かける障害者手帳が目に入り、免許証とともに、とっさに取り出す。救命士さんへ。
その倒れた女性は、横に向けられ、看護師さんに名前を呼ばれて初めて話そうとし始める姿を見た。(呂律が回っていないが)
硬直したりすると、舌などが喉に詰まってしまうこともあるのか。。。
そこで知る。
救急車が近付いてきたら、
車を退けなきゃですね、と必要なタイミングで必要な動きだけをして去っていく看護師さん。
アンサングヒーロー、これか、となった。
倒れた方は一体誰に救われ病院にいるのか、おそらく今後知ることはない。
歌われなかったヒーロー、この人のお陰で救われた!と言われることのないヒーローと私は認識している。
「世界は贈与で出来ている」の本より。🦸♀
私達も何度も関係者か聞かれ、知らない人だと伝え、あとは病院に行くだけ、という段階で「お願いします」といい、
帰路につく。
回復体位というものがなかったか?と級友に言われ、調べる。
「回復体位
・意識はあるが反応がないとき
・嘔吐や吐血があるとき
・」
救命の際これが万能策だ、と全体の知識がなく行ってしまうと逆効果になってしまう危うさも話した。
級友は近くで見ていたので、今の感覚をきいた。
インフォメーションのお姉さんがいるから
インカムをつけて話しているから
大丈夫だろうと思った。という。
それは聞かないとわからないのではないか、と思った。
聞かないと分からない、はどのコミュニケーションでも言えることだよな、とも思った。
しかし一連の流れをそばで見ていて、結局お姉さんがインカムで呼んだのは車椅子を持ってきた土地勘のない警備の人。
救急車を呼ぶべきだったのか正解不正解は今でも分からない
しかし、人間のとっさの救おうとする力に、自身のとっさの動きに、心が震える感覚が涙として、生きる勇気を教えてくれた気がしました。
大げさに聞こえるけどね。でもきっとこれが近いと思う。
この日はモーニングを食べて、級友に気を使った形で、ここで帰るのは寂しいかもね、と伝え、
こういったほうが相手は嬉しいんだろうと思って作ったこの時間だった。
本当に作りたい時間だったか?しかし、帰路で思ったことを思ったままに共有できた時間はとてもありがたかった。回復体位という単語も知れた。
それより前の時間はなぜか少し私を低く見積もって伝えている自分に
とても不自由さを感じていて
過去の自分を見ているようで受け取りたくないような嫌悪感もあった時間だった。
劣等感はなんのためにあるのか。
何のために劣等感があると伝えるのか。
ドッと来る身体の感覚はなにか?
人にいいねと言わないことで自分の凄さを保っている気持ちになっている側面もあったなぁと回顧する。
これは昨日、先生に聞いた話があるからそう思うのかもなと思った。
思い出せる範囲と私の発した言葉も含めて混ぜこぜに書いてみる。
「舐めんなよ。何で価格をあなたに決められなければいけないのか。
6回完結だと伝えているのに、1回やって続きをやるか決めたい。なんて。
私もそう思ったことがあるなぁ…は、隙だぞ
ここで大きくブレる、ぶらされる。
応援者になってくれるかも、と淡い期待で意図のない時間だけを差し出しても
「削られるだけだよ」と言われた。
痛い思いしないと分からないとしているのも
遠回りだね、時間もお金も。
何を準備して、何を意図した時間なのか。」
…………削られる?その感覚が今日ならわかる気がしてしまった。
会ったからって応援者になるなんて限らないね。私が舐めていたのかもしれない。
そして「あなたは「見てくれる人がいる」と安心感を得たいだけじゃない?自分の機嫌は自分で取りなさい。
今は、いいように相手の都合に合わせて使われてる現実を知りなさい。
最初のうちだから気にかけられるけれど
やってないじゃんと思われたら一瞬で見放されていくよ。
やっていることを伝える、ホームページなどの帰属の場所があり、ここにいつも居るよ、と伝えるには発信し続けること。」
そんな話を聞いたからか。
この視座も必要だと思った。
人生で初めて過ごす時間と、フィードバックからくる振り返りと、心の動きと。
残したいと思ったので残します。
おやすみ〜