京都市長選"舞台裏" 門川・福山両陣営の闘い方から見えるもの
今年最初の大型選挙の結果
2020年最初の大型選挙である京都市長選挙が2月2日に投開票された。結果は現職の門川大作が新人の福山和人、村山祥栄を破って4期目の当選を果たした。
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だが、京都新聞・共同通信・KBSが合同で行った出口調査(下画像)を見ると、無党派層で門川は3位にとどまる一方、福山は38.7%を獲得して1位となり、18・19歳では福山が他候補を圧倒、20代で門川・福山が拮抗し、30代で福山が4割近くを獲得した。また、「子育て支援・教育」を重視した層の49.5%が福山に投票していたのだ。
組織力では及ばない福山が門川を追い上げる力になったのが、無党派層や若い世代、子育て世代の支持であったことがわかる。
結果を受けて門川を支援した自民党の下村博文選対委員長は、「今年最初となる大型選挙で、わが党が支援した候補者が勝利した意義は大きく、今後の各級選挙に向けた弾みになる」と安堵の談話を出し、福山を推薦した共産党の小池晃書記局長は、「候補者擁立、政策づくり、広い市民との共同など、最善のたたかいができた」と福山陣営の健闘を評価した。
今回の市長選は、951票差の大接戦だった12年前と同様の構図に加え、れいわ新選組が福山を推薦したことによって、全国的に関心が高まった選挙だった。
門川・福山両陣営でどんな動きがあり、なぜ福山は若い人たちや子育て世代の支持を得ることができたのか、舞台裏を見てみたい。
分厚い組織力で差をつけた門川陣営
「福山に追い上げられている」―以前の記事(こちら)にも書いたように、門川大作陣営は危機感を強めていた。
選挙戦最終盤の1月29日、伏見区で開かれた政談演説会で、公明党支持者を前に門川は選挙戦の厳しさを訴えながら、「公明党を応援されている幅広い方々が連日連夜、本当にあちこち走りまわって、応援していただいている姿を私は肌身に感じる」と述べ、涙で声を詰まらせた。
その前日1月28日には、自民党本部で近畿ブロック両院議員総会が緊急に開かれた。二階俊博幹事長や下村博文選対委員長が出席し、期日前投票がのびていないことなど情勢を共有し、近畿各府県の国会議員に支援を要請したのだ。
例えば、自民党の本田あきこ参院議員は、京都府薬剤師連盟や京都府薬業政治連盟、卸会社を訪問し、門川への支持を訴えた。別の他府県選出の国会議員も投票日前日に京都市内の団体を訪問。ある議員は、「『京都へ行け』『京都へ行け』とお尻を叩かれている」とこぼした。このように表に見えない活動で、自民党は企業や団体を締め上げ、門川支持を固めていったのだ。
同時に目に見える“表”の活動も厳しくチェックを入れた。門川のある演説会に参加し、受付で名前と連絡先を書いたところ、自民党の京都市議から後日「期日前投票に行きましたか」と電話がかかってきて驚いたことがある。市議に尋ねると、自民党は演説会への参加動員を重視し、何人参加したか、何人が期日前投票に行ったかの確認を取っていたのだという。公明党も近畿一円から国会議員や地方議員が支援に入り、支持を固める活動を重視した。
ホテルグランヴィア京都で1月30日に開かれた門川の総決起大会で、連合京都の廣岡和晃会長は、「無党派層の投票のこともあるが、一番は私たちの組織を固めきること。推薦いただいている市会議員、府会議員、国会議員とその支援者のみなさん、未来の京都をつくる会を構成する組織のみなさんに投票に行っていただくかどうか、最後の一人まで行ってきたとの確認を今一度お願いしたい」と最後まで徹底した組織戦を呼びかけた。
このようにして、門川陣営は「優勢」報道で楽観論が出ることを抑え込み、これまでの首長選で棄権していた特に自民党支持層を投票所へ足を運ばせたのだ。
投票日翌日の各紙が「組織手堅く」(京都新聞)、「1395の企業・団体から推薦を集め、支援各党の市議と市内選出府議計59人がフル稼働する組織戦を展開」(毎日新聞)と書いたように、分厚い組織で他の候補に差をつけたが、門川自身は最後まで気が気でなかったようだ。自身に対する批判も感じていたのだろうか、当選確実が報じられてからも、硬い表情のまま、「厳しい、厳しい選挙戦だった」と涙ぐんで振り返った。
京都新聞は再選を果たした門川に対して、社説で次のように注文をつけた。
福山、村山両氏も一定の支持を得た。現市政への不満が少なくないことを肝に銘じるべきだろう。
勝利を逃した福山陣営 開票日の光景
福山和人は追い上げたが、現職の組織戦に勝利を阻まれた形だ。
今回の選挙で、SNS上では福山陣営のとりわけ、れいわ新選組の山本太郎代表の演説やれいわ支持者によるボランティアの活動が話題となっていた。福山事務所に設けられたボランティアセンターには、れいわ支持者が集まって、電話かけや宣伝行動を行っていた。中には東京から泊まり込みで来ている人もおり、熱心な活動を展開していたが、どこから来たか聞くと京都市外と答える人が多かった。
投票日当日、二条駅前の福山和人事務所4階に設けられた会見場には、午後8時を過ぎてから市民が駆けつけ、開票を見守っていた。
そのすぐ下の階にボランティア作業室がある。覗いてみると、狭い部屋に若い人たちが30人近くごった返しているのだ。聞いてみると、立場は学生や会社員、保育士、児童館職員、子育て中の親など多種多様で、多くが京都市民あるいは市内に通勤・通学している人たちで、「つなぐ京都青年の会」や「こどもチーム」に参加している人たちだった。
開票がすすまない間、けん玉に長けた若者がパフォーマンスを披露して拍手や笑い声が起こるなど、みんなを楽しませていた。
実はこの選挙で目立たないながらも、有権者と多彩な対話のキャッチボールを展開したのがこの若い人たちだった。
当初、2人体制で立ち上がった「こどもチーム」には、「上の子は保育園に入れたけど、下の子は入れなくて幼稚園に入っている。保育園前で福山のチラシを配布したい」とTwitterを見て参加した人など子育て世代を中心にLINEグループへの参加が最終的には90人まで広がった。
門川が実績としてアピールした「6年連続待機児ゼロ」について、「実態と違う!」という怒りや、京都府内で唯一、中学校給食の計画を京都市がつくっていないこと、将来の子どもの奨学金の問題などで、自分たちの願いと福山の掲げる政策が一致していたことが背景にあった。
「こどもチーム」は意見を出しあって独自のチラシを作成し、連日「おしゃべり宣伝」と名付けて京都市内の公園や子どもの遊び場で、アンケートを集めながら要望を聞いたり、福山の政策を語ったりして、仲間を広げていった。
「ほんまにめちゃくちゃ楽しかった」 初めて選挙に関わった人たち
「青年の会」も学生や奨学金返済中の人をはじめ、長く奨学金問題で運動してきた人たちが参加し、福山の公約であった「市独自の給付制奨学金」や「奨学金返済の利息分を補助」などの政策を推し出した。
「青年の会」は市内の各駅前や大学・高校前などで宣伝にとりくみ、投票日前日までに約3,000人と対話を重ねたという。この中で高校生と「市営地下鉄・バスの学割率アップ、めっちゃいいやん!この人に入れる!」と話になり、その高校生は福山の名前と顔が見えるようにチラシを掲げながら帰っていく場面もあった。
選挙戦最終日には二条駅前で午前中2時間半で100人近くと対話。夜も30人近い若者が、終電ギリギリの時間まで粘って、福山への支持を積み上げた。
青年の会には、全国福祉保育労働組合京都地方本部(福保労)の保育士たちも参加して対話で奮闘していた。福山の人柄と政策が若い保育士たちを捉えたからだ。
ある保育園では、選挙に初めて関わるという20代の保育士たちが「3人集まれる日があるなら、福山さん応援の行動をしよう」と決め、宣伝にとりくんだ。こうした中で、「選挙にほとんど行っていなかった」という保育園の保護者会長まで、福山の人柄と政策に共感して応援に乗り出す。
保護者会長は、SNSで福山を応援する文章を友人・知人に発信し、支持を広げた。
この保護者会長は、最終盤には福山の演説会で応援弁士に登壇し、最終日も園の保育士たちとともにチラシを配って福山への支持を呼びかけた。選挙が終わった後、この人は次のような気持ちを発信している。
あぁ〜今日までの市長選候補の福山さん推薦運動!!
ほんまにめちゃくちゃ楽しかった。
〝選挙は、候補者やなくて、市民が主人公の、お祭りやで!〟と言ってた福ちゃんの言葉通り、ほんまに私にとって、お祭りでした!!
候補者本人に直接ゆっくり会って演説を聴いたのも初めてで。その候補者が保育園に来てくれて、今の京都市政で変えてほしい、困っている事あったらここで言うてや!とペンメモ片手に言ってくれて、勇気出して挙手して
『要望とかじゃないけど、今まで選挙にあまり興味のなかった私ですが、こんなに市民の近くに寄り添って親身に聞いて下さる福山さんの姿に感動して…これは私の一票だけやなく、もっともっと周りに福山さんの事知ってもらって、伝えていかないと勿体ない!ここにいる皆さんで発信しましょうよ!』と発言した事が全てのきっかけでした。
後日、福山さん応援隊の方から保育園を通して、〝あの時の保護者の方の発言、もっと街に呼びかけて欲しいから、講演会で登壇してくれませんか〟と依頼が来ました。
人前で話すのは全く平気な私。断る理由が、ない。
(略)
登壇終了後、、またまた応援隊の方に呼ばれて、〝お母さん!めちゃ良かった!急で悪いけど、明日の夜、河原町三条の選挙カーの上で、通行人に向けて、もう一度登壇してくれませんか?明日が選挙活動最後の日やから!〟と。
断る理由なんて、ない。
『是非!!!』と、昨日初めて選挙カーの上で話させてもらいました。
なんだか気持ち良かったです!
2日続けてのド素人の登壇…
急に決まった予定やのに、娘の通う保育園の園長先生を始め、先生方。
絶対見に行きますと、2日続けて寒空の中、応援に駆けつけて来てくれました。
今回の選挙。
何故こんな私も熱くなれたのか。
1番に、福山さん自身が、とても熱いお人柄だった事。福山さんが私達市民の生活の為にと、日々頑張って下さっているのをひしひしと感じたから。
次に、娘の保育園の先生方。
私のような共働き家庭の子を、日中、親の代わりとして一生懸命育てて下さっている先生方。
1日の仕事を終えて、娘を迎えに行ったら…朝から夕方までずっと保育して下さっていたのに、さらに園の門の外で、福山さん推薦のビラ配りやお声がけを、寒い中、暗い中、熱心にされておりました。
福山さんが市長になれば、保育情勢、保育士さんの待遇改善にも、大いに力を注いで下さる事は明確です。
大切な娘を親代わりに育てて下さっている保育士さんがこんなに一生懸命応援している姿を見て、私に出来る事は全てやり尽くそう!と私にも完全に火が付きました。
最後に、娘の存在。
日々暮らしている京都の情勢に興味を持ったり、娘の通う保育園を通して色んな気持ち、体験させてもろて、母として強くなれた気がする。
改めて、私の元に産まれて来てくれてほんまありがとうねっっっ!!
子育て中の私にとっても、福ちゃん、とても良い政策でありましたが、それだけでは、選挙に行って家族で投票する。その位しかできなかった。
候補者の人柄、その候補者を応援する方の熱意。そこに胸を打たれたから、心が動くと同時に身体が動いた瞬間でした。
結果はとても残念ですが、自分のしてきた事に、悔いはないです。
『後悔』…1番悔しくて、使いたくない言葉。
その言葉だけは使わずにいれて、救われます。
色々と想い溢れて…結果には号泣してしもたけど、ノンアルビール片手に、今回の選挙の裏側の、私ごとのストーリー。この気持ちは貴重な想い出に残しておきたく、投稿させていただきました。
🍺今夜はなんだか酔えそうな、気がする〜🍺
お腹の中で、キックやパンチ👊息子の胎動に、母ちゃんまた頑張れよ!と、そう言って貰っている気がします!
「市民が政治をつくっていく、この流れをさらに太く大きな流れにすることができた」-落選が報じられた後、福山が語った言葉にこの選挙の特徴が示されている。
他にも紹介しきれないほど様々な人たちの政治参加が、この選挙をきっかけに起こっている。このことは勝敗とは別で、福山陣営の大切な"成果"といえるだろう。
結果が判明した後、悔し涙を流しながら「でも、本当に楽しい選挙でした」「次は絶対勝とう」と、若者たちは語ってくれた。
951票差 12年前の市長選後に何があったか
12年前の2008年、共産党推薦の中村和雄が門川に951票差まで詰め寄った京都市長選の後、何が起こったか。
同年9月に京都市南区で自民党京都市議の死去に伴う補欠選挙が行われた。定数1を争い、自民党市議の息子と共産党の佐野春枝が対決する構図だった。
この補選で中村和雄は佐野の応援弁士に立ち、中村を応援した学生など若い人たちがボランティアに駆けつけ、自民党が強い地域を訪問するなど連日活動を行った。
一方、自民党は現職大臣を応援弁士に招くなど、一つの市議補選としては異例の力を入れ、大激戦となったのである。
結果は2,246票差で佐野が自民党候補を破って当選。佐野の当選によって、京都市議会内で力関係が変わり、野党・共産党に門川与党の民主系会派「民主・都みらい」が共同して、他の門川与党会派が反対する中で国に対して後期高齢者医療制度廃止を求める意見書を可決したのである。
この政治変化の動きは、2009年に行われた衆議院選挙で、京都市内すべての小選挙区で自民党議員の落選につながり、自公政権を交代させる流れとなっていく。
今回の京都市長選で福山和人は勝利できなかった。しかし、この選挙で立ち上がった若い人たちや子育て世代の動きは、そう遠くない時期に実施される衆議院選挙で、政治革新の新しい流れになっていくかもしれない。