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大玉村には雪があったし、ヘッドセットをつけた89歳の彦太郎さんはラジオ収録に臨んだ 隣では芳子さんが平成好音一代女を読んでいた
今日は、FM東京のラジオの収録があった。去年3月に大竹昭子さんの企画でやろうとしていた、ことばのポトラックが一年延期になり、一年後にあたる来月も、どうも開催は難しいとなって、でもなんかやろうとなり、ラジオの収録が組まれた。ラジオ番組は、日曜の朝四時半から放送されている、トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ。田中美登里さんの番組だ。
田中さんと大竹さんは震災以前から親交があり、震災後は、毎年3月に番組を組んでいる。平成をまたにかけたラジオ番組である、トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズの記録誌、「平成好音一代女」をもらって眺めてみた。音楽と、その音の周りの人間、もしくは暮らしが番組のタイトル一つづつから立ち上がってくる冊子だ。一年52週間が見開きにまとまっていて、めくるたびに一年づつ今に近づいてくる。そのなかに、2011年があり、ページをめくりつづけると少しづつ離れ、ホッとする。震災を平成の出来事として眺めたのは初めての経験だった。今もまだ、渦中にいる気がしていたけれど、平成は終わった。なにが終わったというわけではないけれど、この冊子として閉じることができた。田中美登里さんが人と出会い、音楽を聴いて、それを番組として毎週届け続け、そして綴じてくれたこの冊子は、たくさんのいい思い出で、震災の周りを囲んでいた。震災で、何かが断絶しただけではなく、こうした個人とその周りの人が繋げてくれる力をみる。
大竹さんからは、歓藍社にカタリココ文庫の本をもらう。はがきの束のような質感。ロゴは、とても大きな単眼鏡と、鞄一つを携え歩くヒトのシルエット。「五感巡礼」第一章 放浪の効用。たまらん。読み進めて、いずれレビューしたい。
この二人の企画への参加の動機は、自分の中でおぼろにみえてる組み物の、掘り出し方を探れるのではないかという、至極じぶんの関心によるものだった。今日話した中で、覚えておきたいことを思い出す。
今、流通の中に歓藍社のプロダクトを放り込みたいと思っている。一方で、やりたいことは肌で藍を感じ続けること。たとえ話ではなくて、藍染めの肌着を年中着てみたい。自分だけでなく、いろんな状況の人に着て見てもらっていったい何なのか聞きたい。プロダクトを放り込むのは、その先の話だから、今はまだ、流通に手が出ない。ただ、今ほどインターネットが見えやすく感じたことは無かった。面白いなとも思ったし、飽きたなとも思った。どうやら、関わらざるを得ないと感じたというのが、見えやすく感じた理由かもしれない。ラジオすら、インターネットは包含しているようにも思えるけれど、ラジオはやっぱりラジオの良さがある。トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズって名前すごい。
今日の話の中核に在った彦さんの関心や技も、ネットには載っていない。Zoomでは、彦さんが話しにくそうだった。話をするって言うのは、目の前にいる人との全人的な関わりなんだと改めて思う。それなだけに、大玉村で研吾さんと彦さんと集まり、東京の半蔵門スタジオで大竹さん、田中さん、エンジニアの武藤さんが集まった今回の二地点の集団間の対話は実験的で有意義だったと思う。いつも、zoomの後に、どうしようもなく空振りの気分になるが、目の前にいる人を見て、きっと画面の向こうでも目の前に人がいる人達がいるということを想像して、それだけで安心した。研吾さんのすり減って透明になったキーボードや、彦さんちの仏壇とか、今日初めて見たモノも多い。それぞれ、本人らは毎日見ているのだろうが、そういった、その人にとって当たり前のものが、今自分にとっては、代えがたく大切に思えた。毎日が、毎日でありますように、という祈りに似た気持ちだ。